■症例012■


[ハンドルネーム:ふじゃさん、年齢 :22歳、職業:フリーター、性別:女性、住所:兵庫県]

目の激痛。小学校6年の12月24日でした。その時は何を思ったのか、寝てれば治るだろうと思って、コタツで丸まっていました。しかし時間が経つ度に涙と激痛は増え続け、私は母に痛みを訴えました。私の目を見た母が息を飲んだのが聞こえ、私は、ああ何か目に出来てるんだな…と思いました。眼球は晴れあがり、白く濁った角膜がとがった状態になっているのが分かったと後で教えてくれました。

すぐに病院に行く事になったのですが、あいにくその日は休日だったようで、救急指定病院へ隣町まで行きました。内科の先生しかその日はおらず、痛み止めの薬を目に塗りたくられ、気持ち悪かったのを覚えています。その日は痛くて眠る事が出来ませんでした。次の日に市民病院へ行き、診察を受けたのですが、当時の私が理解できたのは、「手術が必要である」事と、「この病院では診察できない」の事でした。

会計を待つ間、隣でただ涙を堪えていた母が忘れられません。それから週に1度、車で1時間かけて大学病院へ通院をはじめました。当時の私は何度か入退院を繰り返す、ぜんそく・心臓病持ちだったので、年齢が部分麻酔できるようになるまで待つ事になりました。その後は何度も再発を繰り返しましたが、当時のような酷い物は無く、3ヶ月に1度の診察…という風になりました。

しかし、最近になって、左目の角膜がまた進行し、コンタクトがギリギリになってしまいました。それ以前からも少し悪化はあり、何度か手術を勧められていたのですが、先日「本当に考えましょう」と言われました。恐らく手術をする事になると思います。私は幸運だと思います。手術に対する恐怖はありますが、手術を受ける事が出来るのですから。

私は小学生という幼い頃に円錐角膜にかかり、何度も再発し、色んな人に「可哀想」だと言われました。だけど、私は一度も辛いとは思わなかったです。小学校の頃、市民病院で見た母の涙。私より母の方が辛かった。手術を終えたら、母にまずお礼を言いたい。

[2001年07月15日]


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