■ 病気のはじまり ■


●突然の出来事 (1993年)

自分が円錐角膜の病気に気づいたのは、高校1年生(15歳)の冬の頃でした。期末試験の勉強中に何だか目がぼやけている感じがして、目薬を沢山使うようになりました。ふと時計の針を見ると、2重、3重に見えてしまい、これは少しおかしいと感じました。ただその時は試験勉強中で、目が疲れているだけだと思い、あまり気にはしませんでした。

試験が終わり、しばらく経っても相変わらず物がズレて見えるので、近くの眼科へ診察に行く事にしました。診察をしてもらうと、「これは円錐角膜です、角膜移植でしか治りません」と言われました。あまりに突然の出来事で、頭が真っ白になってしまいました。しかも病気は両眼の円錐角膜でしたので、何か絶望的なものを感じたのを覚えています…。

医師にHCL(ハードコンタクトレンズ)を使えば円錐角膜の進行が遅くなると言われ、両眼のHCLを作りました。レンズのおかげで乱視も改善し、今までとさほど変わらない日常生活を送る事ができるようになりましたが、学校生活では毎日楽しく過ごしている同級生に少し距離を感じるようになり、笑顔も減っていった気がします。将来、自分の目は大丈夫なのか?それが不安で不安でたまりませんでした…。


●レーザー手術 (1994年)

角膜の状態もどんどん悪化し、日常生活も辛いものとなってきました。特に右目の状態が著しく悪くなり、レンズ装着による不快感は酷いものでした。発症から1年後の16歳の時に、都内の順天堂医院で、右目のレーザー手術を受けました。このレーザーの手術というものは、角膜の突出している部分を削り、レンズのフィッティングを改善させるものだそうです。

ただこのような手術は根本的な解決にはなりませんし、削る事によって角膜が破けやすくなるリスクもあるそうです。レンズの装着感は多少良くなった感じもしますが、手術を受けた割には大した変化はないというのが本音でした。


●そのまま就職 (1995年)

時が経つにつれ角膜の状態も悪くなり、視力も随分下がってしまいました。文字などが右目だけ2重、3重に見え、本を読むのも大変です。高校3年生になり進路の選択を迫られましたが、信頼している高校の先生の薦めで、東京電力の試験を受け、何とか合格する事ができました。病気の不安を抱えたまま、翌年にはすぐに東電学園での研修が始まり、調布での寮生活がスタートしました。


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