■ 角膜移植へ ■
●突然の激しい痛み (1996年)
長かった研修も終わり、営業所に本配属され、新しい生活にも慣れたある日の事です。突然、目に激痛が走りました。目を開けていられないくらいの激しい痛みが起こり、不安な気持ちでいっぱいになりました。右目の方は円錐角膜の進行がとても早く、かなり悪化していたのは理解していましたが、自分ではどうする事もできませんし、ただ時に身を任せていたのが現実です。
仕事が休みの日に病院へ行くと、「亀裂が入っている」と言われ、しばらく右目だけレンズ無しで生活をする事になりました。裸眼での生活は、視力が0.01しか出ない為、外出するには、なかなか辛いものがありました。それからしばらく経ち、右目の痛みも治まり、レンズも装着できるようになりました。しかし、その後も円錐角膜の進行が止まらず、目のトラブルが増える一方で、ついにレンズの装着が出来なくなってしまいました…。
いつも通っていた市内の眼科の先生に、「角膜移植を受ける時期にきている」と言われ、都内の順天堂医院で移植手術を受ける事を勧められました。その後、順天堂医院へは何度も通いましたが、「もう少しだけ様子を見よう」と何ヶ月も先延ばしになり、まともな生活ができないまま、月日だけが経っていきました。
正直、こんな状態のまま何ヶ月も先延ばしにされ、何もできないような状態が続くと、精神的にもすごく辛いです。自分ではどうする事もできず、どうして良いのかも分からず、ただただ月日だけが過ぎていくなんて…。円錐角膜の病気になってから、この時期が一番辛かったです。
その後、今度は埼玉にある防衛医科大学校病院へ行く事に決めました。防衛医大で何回か診察を受け、ようやく角膜移植を受ける事が決まり、予約の手続きを済ませました。病院からは連絡があった際に、すぐに病院へ来られるような入院準備をしておいてほしいと言われました。ここまで色々とありましたが、これでようやくスタートラインに立ったという感じです。
●病院からの連絡 (1997年12月)
12月23日の昼過ぎに、防衛医大からの電話がありました。角膜が手に入りそうなので、今から来てほしいとの事でした。入院の為の準備をしていたバッグを持ち、急いで病院へ向かいました。当時は角膜移植を受けられるまで、2〜3年待つのが当たり前と聞いていましたが、手続きから約9ヶ月での手術となりました。
心の準備もないままに病室へ案内され、そこで再び呼ばれるまで待機する事になりました。その時の気持ちは正直な所、移植手術を受けられる喜びよりも、これから行われる手術に対する恐怖心の方が強かったのを覚えています。病室で待機していても、なかなか呼ばれないのを不思議に思っていたら、手術室が空いていないとの事で、3時間後に手術を行う事になりました。
その間、涙腺を綺麗にしたり、再度検査も入念に行いました。今度は別室に呼ばれ、手術を受けるにあたっての説明と、承諾書のような書類を書くように言われました。また手術の麻酔注射で、白目の裏の血管を刺してしまった場合、手術が緊急停止となる事もあるという話もありました。失明のリスクの話も聞き、かなり不安な気持ちになりました。
●手術中の様子
手術用の服に着替え台車に乗り、病室から手術室まで寝たまま運ばれて行きました。角膜移植手術を行う方の右目の上側にマジックで印を描かれ、麻酔は顎と目の裏に数ヶ所打ちました。また点眼麻酔も併用して使いました。目に手術用の器具を入れ、瞬きが出来ないように、しっかり固定されました。
それから自分の角膜が切り取られ、ドナーの角膜を合わせ、糸で縫うという感じです。特に手術台のライトが凄く眩しくて、それを目を開けて見ているのが結構辛かったです。痛みはほとんどありませんが、切り取られる様子を直に見るというか、手術自体が非常に怖かったです。ドナーの角膜を縫いつける時に、最後の2本が何度も失敗し、予想以上に時間がかかってしまいました。
今回が初めての医師がいて、最後の2本を何度も失敗したのは、その為でした。でも手術中は何も言えませんし、誰でも最初は初めてですから仕方がありません。(大学病院ですし)でも失敗した時は声に出さないでほしかったです。手術中、患者側にはまる聞こえになりますので、かなり不安になりました…。
角膜移植の手術は、通常、1時間程度で終わるそうなのですが、自分の場合は2時間半と大幅にかかりました。その為、精神的にもかなり辛かったです。移植手術が終わり病室へ戻ると、いつの間にか全身が汗でビッショリになっていました。緊張の連続で、もうグッタリです。でも無事に終わって本当に良かったと思いました。
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