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●作者のプロフィール

「円錐角膜.com」の作成・管理をしています 「しいたけ🍄」♂です。東京生まれ(1977年)の埼玉育ち。現在は東京の郊外に住んでいます。学生時代は陸上部に所属し、長距離走を長年やっていました。

15歳の時に両眼の円錐角膜になり、20歳で右眼の角膜移植手術を受けました。
趣味は映画鑑賞で、自然や動物がとても好きです。ブリティッシュショートヘアの猫♂(2023年)を飼っています。😊😸🏠

仕事は、電力会社(技術)→介護士→看護師💉(認知症対応型MPU、終末期、スーパー救急、精神科急性期・開放)です。

円錐角膜の病気になったことで、健康であることの有り難さや、病気になることの辛さを色々と学びました。人生において、どんな仕事がしたいのかを真剣に考えた結果、看護の道に進むことを決めました。この病気で経験したことが、患者さんの気持ちを理解することに役立てばと考えています。

  



●両眼の円錐角膜になる(1993年)

円錐角膜の病気に気がついたのは、高校1年(15歳)の時でした。🏫 期末試験の勉強中に何だか目がぼやけている感じがして、目薬をこまめに使うようになりました。ふと時計の針を見ると、2重、3重に見え、これは何かおかしいと思いました。ただその時は長時間の試験勉強中でしたので、目が疲れているからだと思い、そこまで深刻には考えていませんでした。

期末試験が終わり、しばらく経っても相変わらず物が2重、3重に見えるので、近くの眼科に受診しました。そして医師からは、「これは円錐角膜で角膜移植でしか治りません」と告げられました。あまりにも突然の出来事で、頭が真っ白になってしまいました…。しかも両眼の円錐角膜ということが分かり、とても絶望的な気持ちになりました。😱

また医師からハードコンタクトレンズ(以下HCL)を使えば円錐角膜の進行を遅らせることができると説明され(当時はそのように考えられていた)、両眼のHCLを作りました。レンズで矯正することで乱視が改善し、今までとさほど変わらない生活を送れるようになりましたが、高校生活では楽しく過ごしている同級生に距離を感じるようになり、笑顔も次第に減っていきました。😖

将来、自分の目は大丈夫なのか?見えなくなってしまうのか?社会でちゃんと生きていけるのか?様々な不安が頭をよぎり、辛い気持ちでいっぱいでした…。



●レーザー手術を受ける(1994年)

角膜の状態がだんだんと悪化し、特に右眼のレンズの装着による不快感は酷いものになりました。発症から1年後の16歳の時に、東京の順天堂医院で、右目のレーザー手術を受けました。🏥 このレーザーの手術は角膜の突出している部分を削ることで、レンズのフィッティングを改善させるものだと説明を受けました。

ただこのような手術は根本的な解決にはならず、角膜を削ることによって破けやすくなるリスクがあるそうです。レンズの装着感は多少良くなった気もしますが、手術を受けた割には変化がなかったというのが本音です。短い時間の日帰りの手術でしたが、麻酔が切れると疼痛がかなりありました。🚃



●突然の激しい痛み(1996年)

レーザーの手術を受けてから2年間は特に変わらず、目の不快感を感じながらも日常生活は概ね支障なく過ごすことができていました。そんなある日、突然に右眼に激痛が走り、心配になって病院へ行くと「亀裂が入っている」と言われ、しばらく右眼はHCLなしで生活することを余儀なくされました。😵‍ 右目の視力は0.01、左眼はHCL装着で1.0となり、慣れるまでは大変でした。🌀

それから数日が経ち、右眼の痛みも治まって、1ヵ月後くらいにはレンズを装着できるようになりました。その後も円錐角膜の状態は悪化していき、かかりつけの眼科の医師から「角膜移植を受ける時期にきている」と言われ、順天堂医院で角膜移植を受けることを勧められました。

その後、順天堂医院へ何度も通いましたが「もう少し様子を見よう」と繰り返し言われ、安定した生活ができないまま月日だけが過ぎていきました。自分ではどうすることもできず、どうしたら良いのかも分からず、ただただ精神的に辛かったのを覚えています…。😿

何度も何度も病気が治ってほしいと何かに願っていましたが、現実は悪くなる一方でした。毎日寝る時に見える常夜灯の光が、強い乱視で渦を巻いて広がっていく度に「何でこんなことになってしまったんだろう」と嘆いていました。何もできないまま時間だけが過ぎてしまったので、今度は埼玉県にある防衛医科大学校病院へ行きました。

そこで何度か診察を受けると、角膜移植の手術が受けられることが決まり、予約の手続きを済ませました。病院から緊急の連絡があった時には、すぐに来られるような準備をしておいて下さいと言われました。これでようやくスタートラインに立てたという気持ちでした。🏃🏻



●病院からの連絡(1997年12月)

12月下旬の昼頃に、防衛医大からの「角膜が手に入りそうなので、今からすぐに来て下さい」と連絡がありました。入院の準備をしておいたバッグを持ち、急いで病院へ向かいました。当時は角膜移植手術が受けられるまで、2~3年待つのが当たり前だと聞いていましたので、手続きから9ヶ月で手術が受けられることになり驚きました。心の準備もないまま、すぐに入院→病室へ案内されました。🏥

その時の気持ちは正直、手術を受けられる喜びよりも、これから行われる手術に対する恐怖心でいっぱいでした。前処置や検査を受け待機していましたが、オペ室が空いてないとのことで3時間待機しました。今度は別室に呼ばれ手術を受けるにあたっての説明があり、同意書にサインをするように言われました。📝 手術による失明等の話もありました。



●角膜移植手術を受ける

オペ着に着替えストレッチャーに乗り、手術室まで移動。角膜移植手術をする右眼の上にペンでマーキングされ、麻酔は顎と目の付近に数ヶ所、注射を打ちました。また点眼麻酔も併用。手術用の固定用具を挿入して、瞬きができないようになりました。それから自分の角膜が切り取られ、ドナーの角膜を縫合するという流れです。💉

麻酔をしているので基本的に痛みはありませんが、切り取られる様子が直に見えるため、手術自体がとても怖かったです。ドナーの角膜を縫合する際に、最後の2本がなかなか上手くいかず、とても時間がかかりました(最後の2本のみ初めての医師が担当)。手術は通常、1時間程度で終わるそうなのですが、今回は2時間半と大幅にかかりました。🧑🏻‍⚕️

途中で麻酔がきれてきたためなのか、最後の方は痛みを感じることがありました。手術が終わってストレッチャーで病室へ戻ると、いつの間にか全身が汗でビッショリになっていました。意識がある中で、しかも目を開けた状態で長時間の手術を受けるというのは、本当に恐怖を感じ精神的に辛いものです。緊張の連続で、全身グッタリしていました。🥵

本音になりますが、こんなに怖い手術はもう二度と受けたくないと思ったのを強く覚えています(一生懸命にオペをして頂いた医師や看護師の方には、心から感謝しています)。全身麻酔が可能であれば、次回は絶対にそうしたいと思いました。



●角膜移植後の状態

病室に戻ってから1時間も経たないうちに、激痛が襲いはじめました。夜中まで痛みをずっと我慢をしていましたが、とても寝られそうになかったので、看護師に痛み止めをお願いしました。💊 疼痛時の対応としては、飲み薬ではなく座薬しかないとのことで、悩んだあげくお願いしました。疼痛時薬で軽減しましたが、目を保護する器具を着けている不快感もあり、ほとんど眠れませんでした。

翌日以降は目を動かさなければ激痛という程ではなく、食後に内服薬を飲み、数時間おきに3種類の点眼を実施しました。抗生物質や拒絶反応を防ぐ薬とのことです。手術から3日間は痛みが続き、ほとんど自室で音楽を聴きながら過ごしました。食事が意外と大変で、手術をしていない左眼で見ようとすると、右眼も一緒に動いてしまい、かなりの激痛が走ります…。トイレの時も同様です。

診察の時に目を保護している器具を外しますが、角膜移植をした右眼で周囲を見ると、透き通っている感じがして少しだけ安心しました。今回の手術では入院が14日間で、その後の1週間は毎日通院し、安定してきたら2週間に1度のペースとなりました。入院や手術にかかった費用は、約15万円でした。💴



●抜糸とレンズの矯正(1998年)

角膜移植から半年くらいの期間が経つと、縫合した数本の糸が緩んでしまい、急遽2本の抜糸を行いました(ゴミが付着し雑菌が入ると大変とのことです)。手術から1年1ヶ月が経ち、角膜の状態も安定してきたので、それから少しずつ合計18本(通常は16本?)を、5ヶ月間かけて抜糸しました。抜糸は簡単ではありますが、麻酔が切れるとかなりの疼痛があるので、終了するまで大変でした。👀

また糸がなかなか抜けないことがあり、こんなに引っ張って本当に大丈夫なのか?と不安になることも多々ありました。抜糸が全て終わると、今度はHCLによる矯正を行いました。角膜移植を受けたことにより、今までのようなレンズによる強い不快感が無くなることを願っていましたが、残念ながらそうではありませんでした…。😭

手術をした右眼は長期間レンズを装着せずに生活していたこともあり、レンズを入れた時の異物感は酷いものがありました。ただ矯正後の視力は1.0まで回復し、嬉しかったのを覚えています。その後もレンズの調整を行いましたが、異物感は同様のままでした。



●お世話になった方々へ(1999年)

自分がこの角膜移植手術を受けることができたお陰で、普通の日常生活を送ることができるようになりました。角膜を提供して下さった方と、そのご家族にお礼を言いたいと思います。本当にありがとうございました。また医療関係者の方々には大変感謝しています。😊

円錐角膜という病気を患い、身体的にも精神的にも辛いことが沢山ありましたが、健康であることの有り難さや、病気になることの辛さなど色々なことを学びことができました。この経験を社会に還元できるように、将来の仕事に繋げていこうと思っています。🌟



●現在の状態(2025年)

角膜移植を受けてから30年弱になります。移植後から右眼の角膜内皮細胞数が500個/mm2を切っており、心配ではありましたが、あれから大きなトラブルはなく、HCLを装着した状態で、両眼ともに0.8~1.0程度の視力が出ています。仕事も問題なくできており、普通に暮らせることに感謝して日々を過ごしています。😄

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