病気の症例
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☆円錐角膜の体験談をこちらで募集しています。

  10:ケンジさん

【年齢 :21歳、職業:大学生、性別:男性、住所:山口県】

高校の時に視力が落ち、コンタクトを作ろうと町の眼科に行きました。ソフトコンタクトを作るつもりで行ったのですが、病気と言われました。一応その時は市販のHCLを作ってもらいましたが、あまり視力は上がりませんでした。そして大学病院に行く事を勧められ、山口大学付属病院に通院してます。

そこでサンコンタクトレンズのオーダーでHCLを作ってもらいました。それから3年が経ち4年になりました。4年という事で就職になります。内定が頂けそうな会社があるのですが、病気の話をすると、すぐには内定はできないとの事でした。幸い私の症状は進行してないので、先生に診断書を書いてもらい、新しいHCLを作ってもらいました。

1つ忘れてましたが、山大病院の先生に円錐角膜専用のコンタクトが作られるという事で、モニターになってもらえないかと言われました。作るつもりでしたが、時間が合わずに作るのをやめました。それが去年の2月の事です。

【送信日時 2001年06月18日】


  9:etekichiさん

【年齢 :32歳、職業:会社員、性別:男性、住所:大阪府】

円錐角膜に対して施しをはじめたのは、21世紀になってからですから、治療を始めるまでについてがほとんどになります。小学校4年生頃から目が悪くなっていたのですが、眼科医から不正乱視による弱視というような事を言われていました。眼鏡の煩わしさと矯正が不完全な為、裸眼のまま過ごす毎日が続きます。

中学校の頃によく眼が痒かった事を覚えていますが、この頃より乱視がきつくなっていくものの、視力検査では、右は0.8、左は1.5くらい見えていました。円錐角膜と診断されたのは、高校1年の頃。かかりつけ眼科医が休診であった為、違う眼科に行ったのがきっかけでした。「他の人に比べて、角膜が突出しています」と言われたのを記憶しています。

しかしながら、いくら眼鏡の処方を変えたところで、見えにくいのは変わらず、そのまま放置していく事になってしまいます。これ以降は眼科に行くと、必ず「円錐角膜ですね、少し様子を見ましょう」という答えが返ってくるようになりました。社会人になって乱視の煩わしさの為、何度も眼鏡の再処方、HCLへの挑戦を繰り返す事になります。

しかしながら、眼鏡は一向に合わず、HCLに至って装着する方が見え辛いのと、装着の違和感に耐えられず、またもや放置する事になります。基本的にコンタクトセンターなどというところはあまり信用していない為、大阪で結構有名なコンタクトを扱う眼科や、コンタクトレンズ学会に名前を連ねている眼科などにも行ってみたが結局同じでした。

ただそういう有名な眼科は多くの医師がいる為、当たり外れがあると後から知ったのですが…。しかし30歳をこえて、だんだんと今まで以上に見にくい症状が出てきました。写真に関わる仕事の関係上、ピントを見たりするので、これ以上の視力の低下は問題になってきます。これまでの経験上、諦め半分で眼鏡を処方する為に職場に近い眼科医の門をたたく事になります。

そして担当となる根津先生と出会う事になります。最近知ったのですが、以前に大学病院で円錐角膜専門の外来を担当していたそうです。色々とはっきり言って頂いたお陰でこちらも腹をくくることにしました。オーダーのコンタクトもありますが、1年間取替えのきく、メニコンZを使い矯正治療します。状態を見て1年後くらいにはオーダーレンズに変えるかもしれません。こうして治療が始まりました。

あとの工程は皆さんがご存知のとおりです。現在ほぼ2週間周期で新しいHCLに交換しています。質問すれば、はっきり答えてくれるので、信頼できる先生に当たり心強いです。任せる事のできる眼科医にあたり幸せに思っています。この先どうなるか分かりませんが…。

【送信日時 2001年06月02日】


  8:しんさくさん

【年齢 :33歳、職業:会社員、性別:女性、住所:大阪府】

大阪府吹田市在住です。小学5年生の時から視力が落ち始め(右0.9/左1.2)高校1年からHCLを使用し始めました。その頃は特に何の説明もなく、自分では普通の近視だと思いこんでいました。「円錐角膜かもしれない」と言われたのは、京都に住んでいた24歳の時です。

その頃は昼間はHCL、夜は眼鏡をかけていたのですが、裸眼とほとんどかわらないくらい見えにくく、おかしいなあと思っていた頃です。でもその時も「角膜が尖っていく病気です」と言われた程度です。今はJR吹田駅前の越智眼科に通っています。初めて円錐角膜に関する説明を受けたのは今の眼科ででした。

自分ではそれほど大した病気ではないと思っていたので、症状が進むと失明すると聞いた時は驚きました。先生の説明によると、若い女性に多い病気であり、今の年齢で進行するとは考えにくいという事で安心しました。他の方の体験談(*4)に「メニコンはあまりよくない」という趣旨の文がありましたが、メニコンさんに角膜の角度に合わせたHCLを探してもらい、今はメニコンのHCLを使用しています。

ただ悩みはHCLにより角膜の先端に傷がつきやすい事です。今はHCLを外してしまうと、右は0.03、左は0.06の視力しかないので、日常生活にかなりストレスを感じてしまいます。HCLを外すと何もできなくなるので、つい装着時間が長くなります。仕事でパソコンを見つめる事が多いなども、目に負担をかけているのかもしれません。

【送信日時 2001年05月29日】


  7:kame7さん

【年齢 :32歳、職業:会社員、性別:男性、住所:東京都】

(始まり)…もうだいぶ前の事なので正確には覚えていませんが、確か高校入りたての頃にメガネを作りに行った時に、「乱視かもしれないので、とりあえず病院行って下さい」と言われたのが始まりであったような気がします。地元の病院へ行って、乱視とかの検査してもらったんですが、それでも合わず、設備の整った大病院へという事で、虎ノ門病院へ行く羽目になりました。

いくつかの検査の後、先生に「円錐角膜かもしれないよ」と言われました。当時はかなり珍しい病気らしく、(10万人に1人と言われたような)いきなり周りの看護婦を呼ばれ、「ほら、とがってるだろ?」と、にわか臨床体にさせられてしまったのを覚えてます。(経過)…原因も不明で、治療法もないとの事で、コンタクトをするように言われ、その後1ヶ月ごとに病院へ行くようになりました。

ちなみにソフトは痛すぎて×で、ハードにしました。コンタクトは2回作り替えて、ようやくフィットするものに出会いました。それまではゴロゴロ感がひどく、1時間も付けていられなかったです。確かこの当時、裸眼で左0.1、右0.9位だったと思います。右はそれ程進んでいなかったので、コンタクトは必要ないそうでしたが、片方だけだと両目とも進行が早くなるとの事で、両目コンタクトにしました。

矯正後は左1.2、右1.5。この時ものすごく視界が開けたのを覚えてます。そのおかげか進行もしばらく止まり、1ヶ月が3ヶ月、3ヶ月が半年ごとと、検査の間隔もあいていきました。しかし22か23歳の頃、先生に「また進行しているようです、このまま進めば角膜移植です」と言われてしまいました。

当然、検査間隔も1ヶ月に縮まりました。ちなみにコンタクトをしていても視力が出なくなったら、いよいよだそうです。(25歳)…25になったある時、コンタクトをしていてもすぐに痛くなってしまい、それが何日も続いたので、いよいよ駄目かと思いながら、定期検診の日を迎えました。しかし進行は止まってます、視力も出てるし大丈夫でしょうとの言葉。

(現在)…視力は矯正後、左0.9、右1.0と、段々落ちてはきてます。ただあまり痛くなる事はないので、進行はしていないと思ってます。病院にも25歳から行ってません。ただ徹夜すると次の日はコンタクトを入れられません。プールや海にゴーグルなしで入っても大丈夫です。急に横を向いたりすると偶にズレます。

(円錐角膜で損した事)…メガネでは矯正できないので、旅行とかでめんどくさい。カーブがきついので、流行のつけ置き洗いができない。どうも汚れがカーブの先に溜まるらしい。就職活動の時、つい勢いで喋ったら、役員面接まで行っていたのに落とされた。ちなみに今の会社には言っていません。

【送信日時 2001年05月17日】


  6:STMさん

【年齢 :29歳、性別:男性、住所:岐阜県】

私は21歳の時に自動車免許書き換えの視力検査で引っ掛かり、岐阜県多治見市の多治見眼科へ行ったら、円錐角膜と言われました。以来コンタクトレンズによる円錐の進行を抑える治療を続けております。

24歳くらいの時から多治見眼科の紹介で、京都府立医大病院へ半年に1度検診に行ってましたが、治療内容が変わらない為、1年前から行ってません。今は多治見眼科で3ヶ月に1度検診を受けてます。

【送信日時 2001年04月27日】


  5:みのさん

【年齢 :25歳、職業:会社員、性別:男性、住所:岐阜県】

高1の春休みに、円錐角膜で角膜移植の手術を受けました。手術の登録をしてから約3年も待ちました。若い人の角膜がなかなかなかったそうです。手術は痛く辛かったのですが、矯正して1.0くらいは見えるようになりました。

先生も手術自体はそれほど難しいものではないと言ってましたが、二度と受けたくないと思いました。今では何の支障もなく普通に生活してます。

【送信日時 2001年04月27日】


  4:ナオさん

【年齢 :19歳、職業:学生、性別:男性、住所:岡山県】

僕は今、短大に通っている19歳の学生です。僕も円錐角膜に高校3年生の時なってしまいました。最初この病名を聞いた時は、何なんだろう?って思いました。こんな病名を聞くのは初めてだったからです。失明するかもしれないと言われた時はとてもショックで、体の力が抜けその場に倒れてしまいそうになりました。先生から親へ症状の説明があり、家に帰ると親が泣いていました。

本当にこれからどうなるのだろう?と、本当にものすごい脱力感に襲われました。本屋さんで色々と調べて、今は東京の眼科まで3ヶ月に1回通っています。今使っているレンズは、糸井眼科で処方してもらったボシュロムのEX-02です。その前まで使っていたレンズはメニコンZのレンズなんですが、糸井眼科に行ったらメニコンは円錐によくないからと言われて、作ってまだ3ヶ月くらいだったのですが、今ではボシュロムを使っています。

コンタクトは本当に手間がかかって、もう毎日付けるのが嫌で嫌でたまりません。もの凄くストレスを感じます。将来何か良い矯正方法が見つかればいいのですが…。僕の目は左の方が症状が進んでいて、HCLを付けると何とか1.0位見えます。今後、本当にどうなるのか不安です。

【送信日時 2001年04月17日】


  3:トモカズさん

【年齢 :26歳、職業:会社員、性別:男性、住所:東京都】

私が「円錐角膜」と診断されたのは17歳の時です。視力が下がってきており、それまで使っていた眼鏡を作り直そうとして、地元の眼科に行った時に円錐角膜の可能性があると言われました。そこで簡単な説明を受けた後、大学病院への紹介状を書いてもらう事になりました。紹介された病院は都内にある、日本大学医学部付属練馬光が丘病院でした。

その病院で私が「円錐角膜」である事が確認され、この病気について説明を受けました。説明された内容は次の通りです。(平成4年3月現在)

1:円錐角膜とは眼の表面にある角膜が円錐状に突出してくる病気で、そのまま放っておくと激痛と共に角膜が破けてしまう可能性がある。

2:はっきりとした原因は今のところ判明していないが、喘息などのアレルギーがある人がこの病気にかかりやすいと考えられている。

3:最終的な治療方法は角膜移植である。

4: 22〜23歳くらいまでは症状の進行が早く、その後、徐々に落ち着いてくる。

当時、まだ17歳だった私はHCLを作り、しばらく様子を見る事になりました。そのまま約2年間定期的に通院していましたが、症状が進み左目の角膜が2重に突出してきている状態になり、HCLを装用してもすぐ外れてしまうようになりました。そこで「熱形成術」と呼ばれる治療を行う事になりました。

これは角膜に熱を加え、角膜の形を整えるレーザー治療の一種です。時間にして約20分位の治療です。これにより病気の進行が抑えられるとの事でした。その後、左眼の角膜は落ち着きました。それから約2年経ったある日、今度は右眼の角膜が突出してきている事を知りました。当時、私は大学4年になりたてで、医師に「今のうちに角膜移植を受けた方が良い」と説得されました。

とは言っても角膜移植術となると費用や手術方法など、心配ですぐには返答ができませんでした。そんな私の心配を察してのことか、先生は手術について次のように説明してくれました。

1:手術の成功率はほぼ100%で、拒絶反応も比較的少ない。

2:手術時間は1〜2時間もあれば終わる。

3:入院は一週間程度。

4:手術を行えば、再発する可能性はほとんどない。

5:角膜の移植を行うに当たっては早くても1年、通常は2〜3年待つ事になるが、この病院は比較的角膜が入ってくるのが早く、1ヶ月〜半年位で手術が行える。

6:費用は15万〜20万円位である。

これを聞いて私は角膜移植を受ける事を決めました。その旨を病院側に伝えた時、病院から連絡があった場合、すぐ本人に伝わる体制をとっておいてくださいと言われました。それから約1ヶ月経った頃に病院から自宅に連絡が入りました。本日角膜が入るので、これから病院に来て欲しいとの事でした。わずか1ヶ月とは破格の待遇であるのは明らかでした。

大学4年で就職活動中という事で優遇してくれたのかもしれません。入院の手続きや手術前検査は事前に行っていたので、病院に行ってそのまま即手術という形になりました。手術は注射と点眼薬を併用した局部麻酔で行われました。顔に片目の部分だけ穴の空いた布をかぶせられ、「手術の間は絶対に目を動かさないで下さい」と注意をされ、角膜移植術がはじまりました。

手術への不安より手術用のライトが眩しいな、というのが私のその時の気持ちでした。事前に手術内容の事を聞いていた事もあり、手術への覚悟ができていたのだと思います。手術はまぶたが閉じないように固定する事から始まりました。その後は特殊な器具を使って角膜が切り取られ、移植する角膜が糸で縫い付けられました。部分麻酔なので手術の全工程がみる事ができます。

手術中の痛みは全くなく、時間も1時間半位だったのではないでしょうか。手術が終わった後は眼帯を付けられ、目に汗などが入ると炎症を起こしてしまう可能性があるので、眼帯は外さないで下さいと注意事項を受け、病室に戻りました。その日の夜中に麻酔が切れたのでしょうか、眼に痛みを感じた為、看護婦さんを呼んで、痛み止めの薬をもらいました。それで落ち着き、その日はぐっすり眠れました。

その後は眼に多少の違和感や痛みがあるものの、さほど辛いとは思いませんでした。手術後初の検査を受けるために眼帯を外した時には、今までと全く違った世界が広がっていました。明らかに見え方が違っていたのです。その時手術は成功した事を確信しました。検査を繰り返して約1週間程で退院する事ができました。心配された拒絶反応はありませんでした。

退院してからは毎日点眼薬を使い、抜糸する半年位までは月1、2回のペースで通院しました。抜糸は手術室ではなく、診察室の簡易ベットで行いました。点眼薬で麻酔をかけた後、15〜20分位で抜糸が終わりました。その後も定期的に通院し、角膜が落ち着いてきた頃にHCLを作ることになりました。久しぶりにレンズをした時の違和感や痛みは、初めてHCLを付けた時と同じでした。

現在はHCLによる痛みはなく、終日装用も出来ています。ちなみに私が使っているHCLはセイコーのポリコンという商品で、値段は1枚22,000円です。視力は両目とも0.7位で落ち着いています。社会人になった今でも、通院は3ヶ月に1度のペースで定期的に通っています。私はこの病気になった時は、やはりショックでした。

しかしこの病気になった事で、色々な人々の優しさに触れることが出来ました。この病気がこれからの私の人生にどんな影響を与えるか分からないけれども、どんな事があっても前向きに一生懸命生きていこうと思います。それがお世話になった方々、特に私に角膜を提供して頂いたドナーの方へのせめてもの恩返しだと思います。

皆さんもこの病気になってしまった事を嘆いてばかりいないで、この病気を通じて人の痛みや悲しみを分かってあげられるような人になってください。きっとそれが私達の与えられた使命なのではないでしょうか?

【送信日時 2001年04月08日】


  2:和希さん

【年齢 :18歳、職業:学生、性別:男性、住所:兵庫県】

あれは忘れもしない高校2年の10月24日。夜の8時頃に雑誌を読んでいた時、急に右目がぼやけて視界がすりガラスを通したようになりました。初めはゴミが入ったかと、シャワーで目を洗いましたが全く変わりません。でも大した事はないやろと思って、親に言わずに寝てしまいました。

そして次の日高校へ行ったんですが、やっぱりおかしいと思いつつ友人に見てもらったら、お前右目白いぞと言われ、保健室へ行き早退して眼科へ行きました。すると円錐角膜水泡症だと言われ、目に軟膏を入れ眼帯をする事になったんです。それからは眼帯を着けて高校へ通う日々でした。眼科や大学病院で珍しがられ、診察中後ろにインターン生が何人も見にきました。

珍しい病気なのかと思い、大いに見やがれ!と開き直りました。僕の行った病院は角膜の医師が月曜の午後にしか来なかったので、月曜日は学校を午後から早退する日々が続き、休み続けた授業は成績ダウン。2ヶ月ぐらいしてから眼帯を取り、ヒアレインとタチオンという目薬をさすようになりました。大分治まってからハードコンタクトを着けました。2万円ぐらいだったと思います。

かなり膨らんでいて、はじめは入れられないほど痛かったので滅多に着けず、左右の視力が大幅に違う生活を送っていたのですが、この為に良い方の視力までも落ちてしまったと思います。それからはコンタクトも着け、平穏な日々が続いていたのですが、再びこの症状が訪れました。今年の3月27日、友達と新潟へスキー旅行に行っていたのですが、その行く途中のバスの中で左眼が発病。

現地の眼科へ行き、目薬をもらい応急処置を施してもらいました。そして帰ってから大学病院へ行き。今に至っています。今は右目が0.5で生活していますが、テレビ・本・パソコンなどはやっていません。専らラジオを聞いたり楽器を吹いたりして過ごしています。2週間ほどで治まるそうですが、白い筋が残るかもしれないと言われました。

それが目の真ん中に出てしまうと視力が出にくくなり、角膜移植になるそうです。右側は幸い筋が中心から外れたものの、今度はどうなる事やら…明日から大学生活が始まるのに、ちょっとタイミングが悪すぎです。せめてもう少し早めに発病していたらこの休み中に治せたかもしれないのに。でもこれが運命なら、落ち込まずに前向きにやっていこうと思います。

【送信日時 2000年04月03日】


  1:高橋さん

【年齢 :34歳、職業:会社員、性別:男性、住所:千葉県】

私は中学くらいから急激に視力が低下し、高校になってソフトコンタクトにしました。大学、社会人と進むにつれ、視力がどんどん低下し、社会人3年目くらいの25歳の時に眼科で円錐角膜と診断されました。そこでハードコンタクトに変えたのですが、違和感がかなりあり慣れるまで時間がかかりました。

しかしコンタクトと角膜のカーブが合わず、角膜の中心部分がこすれて傷つくことが頻繁になりました。今はサンコンタクトで角膜のカーブに合わせたオーダーメイドにしているのですが、いまひとつフィットせず、数回カーブを修正しました。現在もまだカーブが合わず、特に酷い右目はまた角膜中心部がかなり傷ついた状態です。

左目のみコンタクトの状況が続いてます。また度重なる眼科通院に会社を休まなくてはいけないので、休暇も減り会社からの心証も悪くなります。角膜異常により、天気が良い日はかなり眩しく感じて、目を開けているのが辛い状況です。また夜は光が散乱しているというか光が伸びて見え、車の運転はちょっと恐いです。

私はこの病気と約10年付き合っている事になりますが、常に目に違和感を持っている感覚と、行動範囲の制約から早く脱したいのです。医者も今はコンタクトで処置するしかないと言ってました。私の場合は進行度が5段階中2と言われたので、角膜移植の対象にはならないそうです。そういう事で、少なくともフィットしたコンタクトができれば満足です。早く良い治療法が見つかってほしいです。

【送信日時 2001年03月15日】




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