病気の症例
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☆円錐角膜の体験談をこちらで募集しています。

  40:ハンドルネーム:ひでかなさん

【年齢 :28歳、職業:会社員、性別:男性、住所:兵庫県】

私は28才会社員で、妻と2才の娘を持つパパです。私が円錐角膜と言われたのは約4年くらい前で、左目の視力が徐々に低下し、眼鏡を作ろうと眼鏡屋に行くと、左目の視力が計測できないと言われた。そこで眼科に診てもらうと円錐角膜の症状が出ていると言われ、このまま放置していると最悪失明に至ると言われました。

ショックでしたが、今の段階はどの程度と聞くと、まだ初期段階でほっとしたのを覚えています。それからはずっとコンタクトレンズを装着してましたが、最近は左目がすごくかすみ、瞬きすると雨のかかったガラスのように、にじんだ景色となってきました。また痛みや不快感も増し、眼科に行くと角膜に傷があると診断され、今は目薬を頻繁に点眼しながら過ごしています。

仕事中はあまりの痛さの為、最近はHCLは外しています。周りの景色はぼんやりしていてあまりはかどりませんが仕方ありません。医者には今のHCLの装着が今後無理な場合、京都の大学病院でレーザー治療をする必要があると言われています。かなり心配です。

【送信日時 2002年06月18日】


  39:ハンドルネーム:翔さん

【年齢 :18歳、職業:学生、性別:男性、住所:熊本県】

私は円錐角膜の症状が現れたのは小学校5年の時でした。視力が急に低下し、1.5あったのが0.06まで一気に低下しました。私も幼少の頃からアレルギーを持ち母からの話によると目をよくかいていたそうです。もし今小さい子供をお持ちの方がいらっしゃるのなら、子供に目をかくという癖をつけないようにして下さい。

【送信日時 2002年06月17日】


  38:ハンドルネーム:さるひろさん

【年齢 :35歳、職業:会社員(コンピュータ)、性別:男性、住所:千葉県】

はじめまして。千葉県鎌ケ谷在住の「さるひろ」と申します。今日コンタクトレンズを新しく作りに行ったのですが、初めて自分が円錐角膜という事を知らされました。まさか移植をしないと治らないとは夢にも思っていませんでした。そもそも左の視力が落ち出したのは高校1年ぐらいからでした。特に目を激しく打ったりしたような記憶は全くありません。

ただ目が疲れると眼球を押してマッサージしていたぐらいしか原因が思いつかないのです。全くもって不可思議な病気ですね。

【送信日時 2002年06月16日】


  37:ハンドルネーム:tomoさん

【年齢 :27歳、職業:フリーター、性別:女性、住所:愛知県】

このホームページを見て病院に行く勇気がもてました。昨日お医者さんに行って、検診の結果コンタクトでは視力がでないという事で、角膜移植の方向で頑張る事にしました。20歳の時にこの病気に気づいてからずっと逃げてきましたが、私以外の同じ病気の人が頑張っているんだと知り、正面から向き合える事ができました。

手術は怖いけど、同じ仲間が頑張っているんだから今は頑張れそうな気がします。リスクに負けずに進んでいけそうです。色々みんなと話をしていけたら嬉しいです。本当にこのホームページには感謝しています。

【送信日時 2002年06月06日】


  36:ハンドルネーム:がんばろうさん

【年齢 :35歳、性別:女性、住所:神奈川県】

私の場合はもっと複雑です。角膜潰瘍からくる円錐角膜。本来ならあるはずのない血管が角膜の中に進入しようとする。それも、角膜の細胞を壊しながら…。母に聞けば、物心をつく前から目を痛がっていたとの事。自分でも目だけはしょっちゅう痛痒かった。どえらい難病だと知ったのは、転居先で初めてかかった個人医院。紹介状を書きますからと言われ大学病院へ。

そこで何回もの診察と検査を重ね、難病だという事を知らされる。潰瘍を繰り返していたため、19歳の11月についに角膜穿孔(穴があく)眼内の体液みたいのが全部出てしまい緊急入院。移植手術を早急に施さないと眼球摘出になってしまう。一時退院の後、12月31日に連絡があり、緊急手術。

本来は角膜には血管が存在しないため比較的拒絶反応は無いという事だが、私の場合は血管が進入したがるため、術後は拒絶反応との戦いであった。この手術は視力を取り戻す為のものではなく、眼球そのものを何とか守りたいだけのものなので、現在は移植した角膜は何とか定着してくれたが、拒絶反応のため白濁し、視力は無い。

私は移植手術の為に3、4ヶ月入院しました。ただし、費用については手術前に障害者認定を受けておく事を主治医から勧められ、穿孔になる前に認定がされたので保険適用分は全て0円でした。(角膜潰瘍は両目です)説明してもなかなかわかってくれない病気です。目つきも悪いので、比較的他人から誤解を受ける事ことも多いです。

【送信日時 2002年05月28日】


  35:ハンドルネーム:ごうさん

【年齢 :24歳、職業:フリーター、性別:男性、住所:広島県】

15歳の時、円錐角膜が発病し約10年間が経ちます。広島の高校を卒業し大学は福岡へ進学、そのまま福岡での就職をしました。6年間住みなれた福岡を離れないといけなくなったのはこの病気の為でした。私は人と接する事が好きで、接客窓口の仕事をしていたのですが、ある日突然右目が痛くなり、視界が白くなりました。

情けない話なのですが15歳で発病してから、それまでは気にはしていませんでした。その為、病気の事は常に否定的で視力が少し悪いだけ。そう自分に言い聞かせていました。もちろんその間、大学病院へ定期検査は通っていました。心の準備が出来ていなかったので、視界が白濁した時は不安が急に押し寄せました。

その後大学病院へ行くと、症状の1つであると告げられました。その先生の話では2、3ヶ月で症状は退きますと言われました。今まで真剣に考えた事もなかったので仕事を辞め、実家のある広島へ帰り、本格的に考える事にしました。それから広島大学病院や個人病院を回り、円錐角膜の専門医であると紹介を受け、名古屋にある個人病院へと診察に行きました。

広島の方の病院では、それぞれの診断する事が微妙に違っていたものの、移植が必要との判断でした。名古屋の先生は移植では有名らしく、手術を覚悟して病院へ行きましたが、結局まだ手術は必要ではないと言われ、円錐角膜用のレンズを処方すると言われました。

今現在も特注のHCLを使っているのですが、今の症状はどの程度なの?と正直不安になり、色々な質問をしたかったのですが、患者が多く何も大したメンタルケアはしてくれませんでした。(他の患者にもそんな感じでした。)正直ムカツキました!何に不安かといいますと、医者によって判断する事がそれぞれ違うので、どの先生を信じればいいのか分かりません。

【送信日時 2002年05月22日】


  34:ハンドルネーム:31さん

【年齢 :36歳、職業:会社員、性別:男性、住所:神奈川県】

私が円錐角膜だと診断されらのは26歳の頃でした。それ以前(たぶん22歳位)から乱視が酷くなっているような気はしていましたが、それほど気にはしていませんでした。就職したのもあり、コンタクトをしてみようかと眼科に行ってみたところ、円錐角膜だと言われました。当初は普通のハードコンタクトレンズを使用していましたが、2年前に眼科の先生がかわったのをきっかけに、円錐角膜用のものを使用しています。

圧迫感がなく、装着した感じは今のコンタクトが一番良いです。視力はコンタクトを入れて左0.3、右0.6という感じです。現在は円錐角膜の進行は落ち着いているようですが、パソコンの画面を見る仕事の為、視力は落ちています。今通っている眼科の先生は、レンズである程度視力が出るうちは、コンタクトでと言われている事もあって、現在も同じです。

【送信日時 2002年05月15日】


  33:ハンドルネーム:たかははさん

【年齢 :42歳、職業:経理事務、性別:女性、住所:東京都】

平成13年4月。中学3年になった息子が、視力が極端に落ちたので、メガネでも作ろうと眼科へ行った事で、見つかりました。円錐角膜と外傷性の白内障という事で、左眼の視力は0.1くらいです。バスケ部の練習中にボールが当たったとか、きっかけは定かではないものの、目を擦る、グーで目を殴るというのを、その頃よくしてました。順天堂病院で検査とコンタクトを作りました。

何とか志望校の都立の工業高校に合格し、本人は充実して通っているのですが、何せ視力が出ないという事が多く、いずれは手術が必要なのでしょうか。白内障に関しては、若すぎて、視力を出す範囲の限定が難しいとの事だったのですが。本人はあまり深刻に考えていなくて、気合と根性で、何とかすると言っていますが、就職や色々な事が母としては心配です。

【送信日時 2002年05月13日】


  32:ハンドルネーム:やすさん

【年齢 :26歳、職業:販売員、性別:女性、住所:岡山県】

私高校1年の身体測定の時、見えるはずと思っていた視力が極端に落ちている事が判明し(以前は両目とも1.0)眼科に行ったところ、両目が円錐角膜と診断されました。特に右目の進行が進んでおり、0.01以下という事でした。左目はコンタクトレンズで矯正して、なんとか0.7まで見えるようになりましたが、右目はコンタクトも入らず、角膜移植しかないと言われました。

左目の視力だけ日常生活を送っていたのですが、21歳の時に角膜が白く濁って痛くて涙が止まれなくなりました。眼科の有名な総合病院に行くと、円錐角膜が進行して表面の膜を突き破ってしまったとの事でした。しばらくはガーゼを3、4重にして圧迫眼帯をし、外から角膜を圧迫するとういう治療方法でした。

2週間くらい眼帯をしたら、なんとか治まりました。それから5年間は特に進行したという事はありませんが、痛みはしばしばありますし、いつまた進行していくのか不安です。左目で何とか見えるので今は良いのですが、このままでは左目に負担がかかりすぎて左目も進行してしまいそうです。思い切って角膜移植をしてみようかと思っているのですが、目なのでやはり不安です。

【送信日時 2002年05月12日】


  31:ハンドルネーム:せりさん

【年齢 :21歳、職業:大学生、性別:女性、住所:東京都】

私はじめまして!私も円錐角膜と診断された1人です。私は小学校の頃から高校1年までずっと両親ゆずりの良い視力を保ち、両眼ともに2.0でした。視力の低下に気付いたのが、高校2年の身体測定での視力検査。高校1年時は両眼Aだったのが、右がB、左がCとなり、経過観察と書かれました。

中学からずっとバドミントン部に属しており、プレイに支障が出てきた為、最寄の眼科へ行きました。そこでの診断は、近視性乱視に加えアレルギーを持っている為、コンタクトは無理。メガネを作りなさいとの事。私は激しいスポーツをしていたので、どうしてもコンタクトが欲しかったのです。

間もなく東京都立川市にある眼科へ何となく行き、初めて円錐角膜という原因不明の病気だと教えられました。驚きました。そしてより悪い左目だけ病気の進行を抑制すると言われるハードコンタクトを装着するようになります。直径が通常の物よりかなり小さい物で、その後たびたび目に合わせて角度調節の交換をしました。見え方は抜群でした。

そこでは併せて、涙が人より出にくい体質だから頻繁に目薬をするように言われました。高校3年になり右目もCと診断され、同じ様にハードコンタクトを装着し始めました。両眼共に0.9まで視力が出ました。それからは特に何事もなく、自分の病気の事も知りもせず、大学4年の現在まで過ごしてきました。ただ裸眼の時の視力は発症当時よりもさらに低下しました。

明らかに見えずらくなりましたが、序々に進行したので気にしませんでした。あとはコンタクトをしてから肩こり、眼精疲労、常に充血などで、目薬は1か月に3個を使い切る感じです。昨日、久々に眼科へ行きました。実は昨年12月から右目(多少良い側)のコンタクトを紛失してました。が、いい加減な私はガチャ目で苦労しながらも昨日まで生活して若干慣れていました。

そして同じ物を再び買い、視力は1.0出たようです。しかし左目の様子がおかしく、コンタクト装着中でも0.6に落ちていたようです。それで初めて自分の目が気になり、本日このページを見つけるに至ります。自分の目の事を自分は全く知らなかったというショックを受けました。ここで情報を提供して頂いていなかったら、私は当分何も知らないままだったかと思うと恐ろしいです。

早速、円錐角膜を診察してくださる病院を探します!そしてこれからは意識を持って自分の目を大切にして治療に励もうと思います!

【送信日時 2002年04月26日】




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