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☆円錐角膜の体験談をこちらで募集しています。

  50:ハンドルネーム:nonさん

【年齢:30歳、職業:会社員、性別:男性、住所:新潟県】

円錐角膜と診断されたのは、確か18歳の時だったと思います。あの頃はまだインターネットなんてないので、円錐角膜について図書館で調べまくりましたねぇ。「移植が最善」なんて書いてあって、愕然としましたよ。高校生の時に乱視の為、片眼だけコンタクトを作ったのですが、装用感が悪いため作り直しに行った時に診断されました。

円錐角膜としてはまだ形が綺麗な方だという事で、コンタクトで矯正する事になりましたが、合うカーブが見つけられず苦労しました。出来てきたものを1週間しては換え、また作り直しては1週間つけての繰り返し。どうしても、中にエアーが入ってしまうので、すぐに角膜を傷つけてしまっていました。それでも矯正視力が両眼とも1.0くらいは出るので助かっています。

2年くらい前でしょうか、サンコンタクトのレディメイドのコンタクトを紹介されてからは装用感もグンとUPし、長時間の装用もできるようになりました。(値段、高いですけどね)とはいっても、油断するとすぐに角膜に傷を作ってしまいます。そうすると仕事中でも構わず、「ちょっと眼科へ」と抜け出します。

(やっぱり目の事には敏感になってしまいますので)周りの人にはいくら説明しても、この切なさはなかなか分かってもらえないのが、ちょっとはがゆいですね。もう30歳にもなったので症状の進行は止まったと思いますが、気長にこいつと付き合っていくしかないのでしょうねぇ。

【送信日時 2003年01月08日】


  49:ハンドルネーム:うさこさん

【性別:女性】

初めまして。私は今年の夏、円錐角膜と言うことが判明しました。初めて聞いた病名だったというのもあって、とてもショックというか、あ然としました。私の場合は右目の視力がいいので、左目の分までカバーしてくれるというのを聞いて、少しほっとしました。でも一応ハードコンタクトレンズは作りました。

今はコンタクトをしていないのですが、かなり見づらくなっています。コンタクトをしても前に比べて、しているのが辛くなっています。

【送信日時 2002年12月06日】


  48:ハンドルネーム:もちさん

【年齢 :29歳、職業:会社員、性別:女性、住所:福島県】

私が円錐角膜と診断されたのは高2の時です。元々視力が弱く、眼鏡を使用していました。しょっちゅう眼科へ通っていたのですが、高校生のある日、結膜炎?と思い受診したところ、「大きい病院で診て貰って下さい」と病院を紹介され検査を受け、確定されました。私の場合、左目のカーブがキツいと言われ、それを押さえる為に左目だけ「放射状角膜切開」をしました。

もう10年以上前の事なので詳しく覚えてませんが、その手術を受けたのが丁度夏休みの間で、入院前に必死に宿題を片付けたの事だけ、覚えてます(笑)。その後、コンタクトを使用しましたが、視力は手術前の0.02から0.1へ上がっただけで停滞(右目は0.6位)コンタクトもゴロゴロと痛いだけでさっぱり合わず、担当の先生の横柄な態度にも信頼感を得られず、結局は受診も止めてしまい、数年はそのままの状態でした。

24歳位の時、母の知り合いの方から東京に良い先生がいらっしゃるから、一度診て頂いたらと話を伺い、今更と思いながらも上京して診察して頂きました。診断の結果は何もしなければ、このままの状態でしょう。角膜移植をすれば、視力の変化が臨めると思いますとの事でした。

付き添って来ていた母に手術を受けたいと話してみると、変化しないのなら今のままでいいじゃないと反対されました。母の知人で昔、角膜移植に失敗した方がいるので、不安に思ったようでした。確かに私自身、不安がない訳ではありませんでしたが、何より診て下さった先生に安心感を覚えたし、病院の中の雰囲気にも励まされました。

地元の病院では移植の話などの話を終えて診察室から出ると、物珍しそうにジロジロと見られたりして不快な思いもしましたが、その病院では移植の話などごく普通に流れていて、その状況の中にいるだけで、大丈夫なんじゃないかと思ってしまったのです。後々考えてみると、ちょっと無鉄砲だったかなという気もしましたが、やってから考えるタイプ&お気楽思考の私には、立ち止まれませんでした。

と言うより、お金かけて来たんだしという何とも貧乏臭い考えが働いたのも一因だったかも知れません。渋る母をせっかく生きてるんだからやらせてよと説得し、手続きを済ませ帰宅。その後数カ月で連絡が入り、手術を受けることが出来ました。今ではコンタクト使用で0.8前後の視力を保ってます。(右は裸眼のまま)

まだ不安はあるけど、このHPを見て仲間が居ると知る事が出来ました。皆さん、頑張りましょう〜!!

【送信日時 2002年09月29日】


  47:ハンドルネーム:BURさん

【年齢 :18歳、職業:大学生、性別:女性、住所:埼玉県】

私は幼い頃は視力が良くて、裸眼で両目とも1.0でした。それが高校1年(1999年4月)右0.3、左0.3と急激に下がってしまいました。高校受験で目を使い過ぎたのだし、様子を見てれば良いと思って毎日目薬を差す程度でした。でも度々人の顔がぼやけてはっきり見えず、遠くからでは誰がいるのか分からなかったりして、今思うと友達にはかなり迷惑をかけていた様に思います。

こんな生活が3年間続き、今年(2002年)4月大学に入学しました。教室がかなり広いので、前の方に座っても字がぼやけていて、何が書いてあるのか分からなくなり、眼鏡を作ろうと思って店に行った所、度が出ないから作れないと言われました。私は度とは何なのか知らなかったけれど、想像以上に悪くなっているんだという事は感じとれました。

そこで近所の病院で診察してもらったところ、視力検査中にどのレンズを入れても視力がよくならず、円錐角膜の疑いがあるから紹介状を書いてもらいました。私はこんなにも大変な事になっていたなんてと、もの凄くショックでした。大学病院はとても混んでいました。何人かの先生に診断してもらった結果、円錐角膜のほんの初期なので、ハードコンタクトレンズで矯正ができるという事がわかりました。

コンタクトをするのなんて初めてだったので、入れたあまりの痛みに涙が出てきました。でも入れてみると、今まで見えなかった様々なものがはっきり見えてびっくりしました。しかし本当の苦労はこれからでした。1ヶ月後の検診で大学病院に行ってみると、レンズに傷がついていたのです。大丈夫と言われましたが納得がいかず、家のそばの別な病院で再度診てもらいました。

するとこのレンズを使い続けていると、角膜に傷がついてしまうから、すぐに使うのを止める様に言われました。確かに、レンズを目の中に入れてもずれたり、日によっては中に入らない日もあったのです。また円錐角膜のレンズは特種な医療用コンタクトレンズなので、1度ではすんなり形が決まらないという事も知りました。そこでこの病院にレンズを再度作り直してもらいました。

その病院は円錐角膜や医療用コンタクトに関する知識に富んでる所でした。今はレンズを変えてから2ヶ月位経ちますが、ほとんど目に違和感もなく、視力も右1.0、左1.2にまで回復しました。もちろん遠くからでも人の顔も見えるし、どこに座っても黒板の字も良く見えます。何でも見えるという事で学校も以前より楽しくなった様な気がします。

しかし裸眼になると、見るもの全てにもやがかかっている様で、はっきり見えません。今まで見えると思っていたのは、見えないということに対しての耐性であったのでしょう。それがコンタクトを入れた事によって、はっきり見えなくては気が済まなくなってしまったのだと思います。今言える事は、私の様にならない為に物の見え方がぼやける、見えにくいなどと感じた人は、できるだけ早く病院に行って診てもらうべきです。

また円錐角膜で悩んでいる人は時間がどれだけかかってでも、治療を頑張って下さい。今までよく見えなかったものが見える様になった時の喜びは素晴らしいものです!

【送信日時 2002年09月16日】


  46:ハンドルネーム:baumannさん

【年齢 :30歳、職業:会社員、性別:男性、住所:長野県】

自分は中学3年の頃から急激に片側のみ視力が落ちはじめ、おかしいなとは思いながらも、特に治療も受けずにいました。球技をした時にボールが取れない、当たらないなど支障が出てきた為、診察を受けたら円錐角膜と診断されました。最悪角膜移植もありうると言われ、かなりショックを受けた事が思い出されます。

高校1年の時に治療としてコンタクトを勧められましたが、ゴロゴロ程度ではない違和感がありました。スポーツ時などに必要なのに、完全にはフィットしないので使用出来ず、視力の改善は数値上は見られはしたが、独特の視覚感覚などで1ヶ月で挫折、それからは遠近感が取れない不便さを抱えつつも、進行もせずに社会人として生活を送っていました。

7年後、それでも進行していたらと言う不安がよぎり、違う病院で再度診察をしてもらいましたが、やっぱりコンタクト治療を勧められました。ただ角膜移植の必要性についてはないとの事でした。自分はさらに眼鏡を併用する事を医師に相談しました。当初医師は数値的には改善しているのに何故と不思議がっていましたが、眼鏡を併用したら視覚感覚がかなり改善されました。

今までは診察されるがまま、勧められるままでしたが、感覚的なところは診察できない、伝えなければいけない。なんと言っても自分の事は自分が一番良く判るのだからと、その時になってようやく痛感しました。

【送信日時 2002年08月23日】


  45:ハンドルネーム:かなちゃんさん

【年齢 :34歳、性別:男性、住所:神奈川県】

視力が落ち始めたのは中学生の頃から。眼鏡をかけるのが嫌で、高校まで放っていました。高校生になって気がついたら、試験の答案を書くのさえ厳しくなっていて、これはさすがにやばいと思い、眼鏡店に行きました。そこで眼鏡の矯正は無理と言われ、眼科で初めてコンタクトを作りました。

自分が円錐角膜というのを知ったのはこの時でした。初めてコンタクトをつけた時、ゴロゴロ感はたまらなかったけど、本当に見える世界が変わって驚きでした。今考えると、あの頃に円錐角膜の症状が急速に進行していたんだと思います。それからしばらくして、角膜の突出した部分が破れて痛くなり、病院へ行きました。ついに俺の目もこれまでか、という思いでいた。

角膜移植という話もこの頃に言われて、それならば受けようと思っていました。大学病院へと通う生活が続いたのですが、その待ち時間の長さと、先生がかわること、大した治療も説明もしてもらえずにとても不満でした。そして次に変わった先生では、しばらく様子をみましょうという話になって、いい加減行くのをやめてしまいました。 高校を卒業して、今度は反対の目も同じようになりました。

角膜の白濁は多少残ったものの、コンタクトものるようになり、なんとか生活はできました。ただ受験勉強はえらく苦労しました。乱視もひどいし、とにかくイライラしていました。翌年なんとか大学に合格し、喜んだのもつかのま、工学部の建築学科という自分の目を無視した選択をしてしまった事で、また挫折をしました。それから福祉事務所で相談し、視覚障害の申請を受けて盲学校に入学しました。

3年間通学してマッサージと針灸の資格をとりました。ここでは今まで出会った事のない、視力の障害を抱えた人たちに接する事ができました。自分の視力や自分の病気が、大したものではないという認識を、ここにきて初めて持ちました。そして自分の視力を気にする事もなく、快適な学生生活を送りました。 それから病院に5年間勤めましたが、辞めて調理関係の仕事に就いていました。

実際社会で働くとなると、自分の視力が厳しく感じます。目が悪いの一言ではすまない大きな壁として、再び自分の前に立ちはだかってきています。今自分の目のについて、角膜移植とかコンタクトとか考え直しています。もっと信頼できる病院を探してみようかと、情報を集めているところです。

【送信日時 2002年08月20日】


  44:ハンドルネーム:泳ぐなネッシーさん

【年齢 :31歳、職業:会社員、性別:男性、住所:広島県】

両目円錐角膜発症から5年、特に円錐度の高い(破れる寸前)の右目を角膜移植して3年が経ちます。左目はHCLによる矯正によって進行を抑えています。発症の確認がされたのが26歳。医者が言うには、30歳をこえると症状は安定するとの事で、左目については現状のままで行こうと思っています。

発症から角膜移植までの決断、手術、拒絶反応等の経緯は皆さんと同じです。これから移植しようか迷っている人、その後の生活の仕方などでいろいろ考えている人がいると思いますので、私の経験と反省を綴ってみますので、参考程度にして下さい。

1:いろんな病院を周り、自分が信頼できる病院、医師をさがす事
角膜が潰れた時の絶望感、病院をたらい回しにされた時の病院への不信感。これらの経験を経て、信頼できる病院と医師に出会ったときの安堵感は今も忘れられない。角膜移植を勧められた時、即答でお願いした。局所麻酔よりも全身麻酔を勧められそのようにした。

2:角膜移植はするべきだと思う
人の目をもらって見えるようになるという認識から、その人のおかげで生きて行けるとまで感謝している。人の命や優しさを身に染みて感じる。将来生きて行く上でとても大切な事だと思う。

3:せっかくもらった目を2度と壊すな
今の私の仕事はPC関係。医者に転属願いを出せと言われている。社会の中では目が悪い人間にPCをさせるという理不尽な出来事も多々ある。最終的には自己管理しかない。これはどんな病気を抱えている人もそうだと思う。それでも他人より目が疲れやすく疲れも残るので、人相や機嫌が悪かったりする事の方が多い。酷いは肩凝りや頭痛、寝起きの悪さ。

4:目薬、風呂、整体が多少私を救っている
目薬は肩身離さず4種類。風呂は疲れをとる為、血行をよくする為。整体では私は他人より首が長く、首の付け根にストレスが溜まるため矯正している。

【送信日時 2002年08月12日】


  43:ハンドルネーム:ピグモンさん

【年齢 :38歳、職業:主婦、性別:女性、住所:大阪府】

私は中学2年生の時、急に視力が落ち始め、半年ぐらいの間に凄い勢いで視力が低下しました。しかも最初のうちは原因不明で、病院を変えたりしながら、1年以上経って、初めて自分が円錐角膜である事を知りました。それ以来ずっと両目ともコンタクトレンズにお世話になりつつ今に至っています。

その間、目の前が真っ白になった事や、コンタクトが合わなくなって、眼球に傷を作ってしまい辛い思いをした事、医者に角膜移植を勧められた事など、色々な事がありました。とりあえずこの年齢になっても、何とかコンタクトでそれなりに満足して生活しています。掲示板を見ると、とても辛い思いをされている方が多いようですが、私のように、楽しく生活している人間がいる事も知って頂きたいと思いました。

現在はニチコンのローズKというコンタクトにお世話になっています。最初に比べると、症状はかなり落ち着いているもののやはり少しずつ症状が悪化しています。自分の中に「いつか移植かな?」という思いもあります。現在は矯正視力で0.7くらいまでしか出ません。もちろん若い頃は、かなり落ち込んだ事もあります。

いくら大丈夫と言われたって、やはり移植は怖いし、これ以上見えなくなるのも辛い…。でも、そういう爆弾を抱えている事で、いろんな事を考え、また友達の暖かさを感じた事もあります。最近はもしかしたらこのまま一生移植もせずに生活できるかな?という思いもありますどんな病気でもそうだと思いますが、余り悲観せずに前向きにいて欲しいと思います。

私は以前は車の運転もしていましたし、学生の頃にはスキーの大回転競技の出場もしました。そういう事が病気の進行を早めたかどうかはわかりませんが、好きな事を思いっきりして今日に至っています。大丈夫です。本当に!!何気なく訪れたこのサイトのおかげで、再び自分の病気について考える事が出来ました。

それから今後コレをきっかけに、私もアイバンクの普及など、少しでも目の病気で苦しんでいる人の役に立てたらと思っています。

【送信日時 2002年07月17日】


  42:ハンドルネーム:まささん

【年齢 :14歳、職業:中学生、性別:男性、住所:富山県】

今年の2月頃、右目が円錐角膜と診断され、角膜移植を受けました。実は今年の6月5日に角膜移植を申し込み、6月20日に角膜が取れたという電話がかかってきました。2週間程度で電話が掛かってきて、とてもびっくりしました。そして21日に手術をしました。手術は全身麻酔で行った為、何もわかりませんでした。また手術後もすぐに麻酔がきれたのですが、ほとんど痛みは感じませんでした。

そして2〜3日は上を向いて寝ていなければいけないという事で、安静にしていました。その後2週間程で退院する事ができました。現在は、まだ眼帯はしています。また、ソフトコンタクトレンズも入れて角膜をおさえてあるそうです。視力は0.6まで出ました。退院後、目が痛くなって病院へ行くと、糸がコンタクトを突き破って出てきていると言われ、糸を切ってコンタクトを換えてもらいました。

手術が終わり、本当に角膜を提供して下さった方に心から感謝しています。

【送信日時 2002年07月06日】


  41:ハンドルネーム:ばっくらさん

【年齢 :27歳、職業:会社員、性別:男性、住所:兵庫県】

高校の頃からどんどん視力が落ちていき、18歳ぐらいからコンタクトレンズになりました。22歳ぐらいからソフトレンズでは矯正しきれなくなり、ハードレンズに変えました。メガネ屋さんに勧められ眼科で受診しましたが、そこでも乱視が酷いだけと言われていました。そして24歳にいつもコンタクトレンズを作ってもらっている眼科で円錐角膜だと言われました。

しかしその時に何も説明がなく、そのまま放置していました。そして2、3日前に急に眼精疲労が酷くなり、円錐角膜と言われていた事を思い出し、色々と調べる中でこのHPを見つけ、今日違う眼科へ行って診てもらってきました。幸い症状は軽いようで、普通のハードレンズで矯正できるので良かったのです。もし眼精疲労が酷くならず、このHPも見る事がなかったら、このまま何も知らず放置していたと思います。

また今後円錐角膜について、ちゃんと説明してくれる眼科医を探し、受診しようと思います。私と同じような症状の人は隠れて沢山いると思います。

【送信日時 2002年07月03日】




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