病気の症例
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☆円錐角膜の体験談をこちらで募集しています。

  70:ハンドルネーム:サカモトさん

【年齢:15歳、職業:中学生、性別:男性、住所:東京都】

3ヶ月ほど前、眼科で「円錐角膜です」という宣告を受けました。その時、円錐角膜なんていうものは全然知らなかったし、そんなに深くも考えませんでした。しかしよく考えてみると、つい2年前までは両眼とも2.0以上の視力が出ていたのに、今となっては左眼は0.1しか出ません。右眼は今でも視力は出ているのですが、それでも「両眼ともに円錐角膜」と宣告されています。

この右眼さへも左眼のようになってしまうと考えるだけで、“恐怖”を感じます。ただ道を歩いているだけで信号の光がものすごく光って見え、その度に全てを捨ててしまいたくなります。今、高校受験シーズンの真っ只中ですが、果たして頑張って勉強し、知識を身につけても意味はあるのでしょうか…。

【送信日時 2005年12月11日】


  69:ハンドルネーム:まーさん

【年齢:33歳、職業:会社員、性別:男性、住所:山梨県】

私は16歳くらいから、両眼円錐角膜と診断されました。当時は就職、車の免許など変化の時期でしたが、視力が出ないという状況に悩まされました。免許取得のために、レンズを2枚装用。鎮痛剤なしでは生活できない日々を過ごしました。薬の副作用や角膜に傷がついてしまい辛い毎日でした。

当時、就職した会社を辞めた頃(眼の事が理由で)かかりつけの医者に、「これ以上、鎮痛剤は使えない」と宣告されました。副作用が強すぎるとの事でした。薬なしでレンズを2枚入れる事が出来るようになるまで、とても痛くて辛いものでした。現在33歳になる男ですが、症状はあまり変わってはいないようです。

角膜に傷が入ったり、突然の痛みでレンズが入らない事は、しばしばあります。

【送信日時 2005年07月26日】


  68:ハンドルネーム:kokoさん

【年齢:31歳、職業:歯科助手、性別:女性、住所:群馬県】

19歳頃に発症したのに気付かず3年が過ぎ・・あまりの目の霞にメガネを作るつもりが、視力が出ない事で眼科を訪れた事がきっかけで病気が判りました。当時22歳頃、このままどこまで視力が持つか判らない、もしかしたら年を重ねて視力が出なくなるかもと言われ、とりあえず直ぐにハードレンズを装着しました。

あれから9年お医者さんから‘どうやら視力はもう落ちないだろう‘とのお墨付きを頂き、でもハードを付けた時の違和感・ゴロゴロ感と一生付き合わないといけないけど、今は自分の人生に感謝をしています。視力があるだけでもありがたいと。

【送信日時 2005年07月09日】


  67:ハンドルネーム:ユキさん

【年齢:25歳、職業:無職、性別:男性、住所:長野県】

初めまして。いつも掲示板を見させてもらっています。この病気になって10年くらい経ちます。長野県は円錐角膜に詳しい眼科がほとんどありません。その為、20歳くらいまでは点眼麻酔薬を使用していました。眼科医にはコンタクト着用時に限定して、1日使用2回までと言われていましたが、あまりにも痛くてコンタクト着用外も含め、50回程度使用していました。

しばらくは病気を感じさせず、普通の人と変わらない状態でした。しかしバイクでツーリングした後に、痛みで目が開かなくなってしまい、救急車で運ばれました。そして某大学病院の医師に聞かされたのが、「その目薬を使っていると失明する」と言われました。医師に「どうしたらいいですか?」と尋ねたところ、「その目薬使ってると失明するけど、他に方法がないから今はしょうがないね」と言われ、愕然としたのを覚えています。

私が「じゃぁ、どこかこの病気に詳しい病院を紹介してください」とお願いしたところ、医師は「私はこの病気について詳しい場所は知らない」と言われました。他に手がかりがなく、引きこもりがちになり、他の眼科に行っても「知らない」と言われました。とりあえず失明するのが怖かったので、点眼麻酔薬の使用を控える事にしました。

結果、心を病んでしまい。精神病院の先生に円錐角膜を知っている医師がいたので、そこから山梨→愛知→東京と病院を転々として、現在に至ります。現在は東京の病院に通っています。ピギーバックは実際に試しましたが、目が受け付けず使用不可でした。また角膜移植の手術はアレルギー体質のせいか、睡眠中無意識に目を掻いてしまい、移植したとしてもすぐにもとの状態に戻る為、医師から無理だと言われました。

この病気になったのも、無意識に目を掻く事が原因であると医師に言われました。さらに「痛みが一番少ないコンタクトを使用するしかない」と言われ、だましだましコンタクトを使用しています。以前の就職先もこの目の状態ではやって行けず、辞めるしかなく、この目の状態でもやっていける仕事を探しています。

過去の研究によれば、円錐角膜の症状は30歳程度で進行が止まるという報告があります。今はその年齢で進行が止まる事を願って今を過ごしています。医療技術の進歩を心待ちにしています。

【送信日時 2005年04月17日】


  66:ハンドルネーム:KAZUさん

【年齢:34歳、職業:公務員、性別:男性、住所:神奈川県】

はじめまして。僕も円錐角膜で悩んでいる者の1人です。発症からもう10年くらいになり、色々と試行錯誤を繰り返しながら現在も未完治のまま、この病気と付き合っています。僕の体験が少しでも皆様のお役に立てばと思い書き込む事にしました。まず症状ですが、僕の場合は左目のみ極度の近視(裸眼0.03)及び不整乱視が伴います。

HCLでの矯正は可能ですが、ドライアイが酷くハードは出来ない為、ペギーバック(SCLの上にハードをのせる方法)を使っています。右目は近視だけなので、左目が見えなくてもまあいいかなと当初思っており、ハードを入れないで過ごしていた所、左右のピントがどんどんずれてきて左目が斜視になりました。

見え方も酷い時は1つの風景を見ると、テレビを上下に2つ並べたように見え、とても疲れるし、日常生活など出来たもんじゃありません。HCLを入れておけばとりあえず視力は出て、斜視も解消しピントも合うのですが、ペギーバックはとても目に負担がかかり、角膜に傷がついたり目がとても充血したりします。

またコンタクトがずれて落ちやすく、未だにとても難渋しております。公安職なので仕事時間が不規則だったり睡眠が十分に取れなかったり、日差しや風の強い日に外での勤務を強いられるととても辛いです。さて治療ですが、僕は当初東大病院に通っており、ここでは治療は角膜移植しかないと言われ、移植待ちの登録をしました。

しかし3年が経過してもまったく音沙汰がありませんでした。そこで千葉県市川市の東京歯科大付属市川総合病院に行った所、「すぐに移植をしたければ25万円で国外のドナーの角膜を使う、しかし1〜3ヶ月待てるのなら国内のドナーの角膜を使い、費用は一般的な入院費と手術費用のみ」と言われ、目から鱗の思いでした。

この病院はアイバンクと角膜移植に力をを注いでるそうで、経験も多く移植待ちの登録から手術までがシステマチックになっている印象でした。ただ、何より感じたのが、「病院側の横のつながりの無さ」でした。

東大病院を日本最高権威の病院と思って、ずっと通院していたらこんなに早く移植手術は受けられなかったでしょう。東大病院では市川総合病院を紹介してはくれなかったし、これからもないと思います。それは東大病院が、言わずと知れた「東大閥」で、市川総合病院が「慶応閥」(らしい?)ということが影響しているようです。

病院は自らが情報を集めた上で選ばなければならないことを痛感しました。それで4年前に角膜移植をして、手術自体は成功し、合併症や拒否反応も起こらなかったのですが、角膜自体は最初は角膜の形も良く視力も出でいた所、1年程経つと、すっかり元の出っ張った形に戻ってしまい、視力も何もかも手術前のままとなって今に至ります。

この辺は術前に医師から「角膜移植をしても治らない事がある」と言われていたので仕方が無いと思っています。現在もペギーバックをして不自由な生活をしていますが、最近聞きかじった情報では、不整乱視や角膜が凸凹でも出来るレーシックが実用化されているそうなので、その病院で円錐角膜でも施術が可能か確認してみたいと思います。

【送信日時 2005年03月21日】


  65:ハンドルネーム:みやさん

【年齢:27歳、職業:会社員、性別:男性、住所:神奈川県】

僕の場合は少し特殊かもしれません。自分が円錐角膜だというのを知ったのは、今から1年ほど前に新しい眼鏡を作ろうと眼科に行った26歳の時です。その時は視力が悪くなったからではなく、3年ほど使用した眼鏡のレンズの傷が目立つようになったので新しくしようとしただけでした。

色々な検査が終わり眼科医の診察となった時に、まず「なぜ視力が3年間も変わっていないのか?」と聞かれました。最初は何の事だかまったくわからなかったのですが、「君の目は円錐角膜といって進行性の病気だ」と言われて初めて自分の目の事を知りました。しかし僕の場合はまだ1〜2歳の頃に、両親が僕の視力が極端に悪い事に気がつき、治療を施してくれたので悪化せずに済んだのだと思います。

その為、僕は2歳から眼鏡をかけ始め、治療用の眼鏡を10年以上使っていました。まだ幼かった事もあり、どのような治療を受けたかはほとんど覚えていませんが、徐々に視力が良くなった事だけは覚えています。そして現在は酷い乱視と遠視がありますが、裸眼で0.1、眼鏡で0.9程度の視力があります。

また昼夜を問わず車の運転は問題ありません。ただ赤緑色弱の為、信号などの色の判別には神経を使っています。また目の形や乱視の影響でCLは使用していませんし、花粉症の季節には白目の外に触れる部分が赤くはれてしまう事も有ります。飛蚊症は子供の頃はありましたが、ここ10年程はほとんどありません。

僕の場合は発見が早かった事や、成長期に治療した事、たまたま進行が止まった等の幸運が重なったとは思いますが、皆さんにもこういった症例もある、または幼いお子さんの行動に注意しようという風に感じて頂ければ幸いです。ちなみに両親が異常に気がついたのは、テレビの画面に顔をくっつけて見ていた時だそうです。

【送信日時 2005年03月15日】


  64:ハンドルネーム:あきおさん

【年齢:34歳、職業:SE、性別:男性、住所:埼玉県】

私は中学生の時に体育館の白線が3重に見えたり、お月様も5個ぐらい見えるけど、まあ視力も1.2程度出たのでいいやと思い、突っ込んで調べる事もありませんでした。眼科に行っても斜視と乱視だと言われて、コンタクトも眼鏡も合わないから、矯正不可能でした。裸眼でいいや…。

視野の中で視力の出る部分を1.0確保して、目つきの悪いのは仕方がないと妥協し、34歳まできました。そしていきなり34歳で円錐角膜の診断。今まで診察したドクターは見逃していたようです。幸い最大1.0の視力が出ていますので、現在も様子をみています。パソコンの方は仕事で1日に12時間程度使いますし、自動車の運転もしています。

目が悪くなったお陰で、視力の良い人には見えないものも見えてきました。それは視力のハンデで目つきの悪くなった人への接し方です。心配してくれる人も大勢いました。

【送信日時 2004年09月06日】


  63:ハンドルネーム:ジョニーさん

【年齢:17歳、職業:高校生、性別:男性、住所:東京都】

自分がこの病気である事が判明したのは、中学2年生の初夏です。現在は高校3年生なので、今から約4年くらい前になります。最初は中学校の健康診断で視力が低下し、眼鏡の作り替えの為に近くの眼科へ行きました。自分の中では眼鏡を換えるだけという感覚でいましたが、円錐角膜の疑いとの事で、都内の病院を紹介されました。そして、その紹介された病院に行き診察を受けました。

診察の結果、円錐角膜だと言う事が判明し、医師から病気に関する詳しい話を聞きました。それからCLを作る為に、期末テスト終了直後から毎週のように病院に通い続けました。何時間も待たされながら検査を受け、1日があっという間に終わり、休みなんて無いような日々が続きました。この時は普通の眼鏡を利用して、通常の生活ができる程度でした。夏休みの終わりにレンズが病院に届きました。

初めてレンズを使用するので、病院に行って使い方を教えてもらい、その日は家まで入れて帰宅しました。そして2ヶ月に1回の通院生活が始まりました。中学3年になり、皆が受験モードに入っている最中、2ヶ月に1回は1日を潰して病院に行かなければならず、塾や模試を受けて確実に力をつけているクラスの仲間を恨めしく思う事が多く、そんな自分が嫌でした。

一番苦労したのが体育の時間。水泳ではレンズを外して授業を受けなければならず、水泳の授業はもちろん、その後の授業まで遅れる事もあり、学校に診断書を提出したり、マラソンではズレそうになり、痛くて散々な思いをしました。そして何とか第一希望の高校に合格する事ができました。

心配されたり同情されるのが嫌で、友達にはほとんど話していません。現在は就職予定の会社の健康診断で落ちないかどうか、それだけが心配です。けれどもホームページを見て、この病気と真っ向から向き合って闘っている人がいる事を思うと、自分ももっと強くならなきゃいけないと感じています。

【送信日時 2004年04月05日】


  62:ハンドルネーム:じゅんさん

【年齢:29歳、職業:スーパー店員、性別:女性、住所:岡山県】

私が目に関する病気と付き合いはじめたのは、20歳の頃からです。最初は円錐角膜ではありませんでした。視力は小学校6年の時からどんどん悪くなっていっていたのですが、それでも矯正できる範囲で、ずっと眼鏡で過ごしていました。20歳の頃に飛蚊症が酷くなり、網膜裂孔やレーザー治療を繰り返し、22歳の時に網膜はく離まで進行してしまい、手術を受けました。

その後も同じような事を2、3回くらいして、定期的に病院に通っていました。網膜裂孔は両目でしたが、はく離は右だけだったので、視力は左の方が良かったのですが、半年くらい前から左の方が見え辛くなった事に気がつきました。医者に訴えて検査してもらうと、そこで円錐角膜(両眼)だと診断されました。

右目は軽いのですが、左目は角膜のカーブが強いと言われ、右目は普通のレンズを、左目は円錐角膜用レンズを処方されました。でも私には合わないのか、着けてもすぐに目や頭が痛くなったり、目の周りも痒くなります。医者からは辛ければ1日に1、2時間くらいで良いから、レンズは毎日着けるように言われ、苦痛ながらも続けています。

着けるのが下手なので、目の中で行方不明になってしまい、鏡を見ても見えないので苦労しています。片目だけで軽く10分くらいかかってしまいます。円錐角膜は誰も知らないので、聞かれた時に説明するのが大変ですが、他にも頑張って手術や治療を受けられている方がここにいらっしゃって心強いです。

【送信日時 2004年03月19日】


  61:ハンドルネーム:ネコネコさん

【年齢:39歳、職業:会社員、性別:女性、住所:千葉県】

私はもともと不整乱視だと言われ、高校2年の時にメガネの矯正がほとんどできなくなり、ハードコンタクトレンズにしました。今から思えば、20歳くらいの時から右目の視力が急激に落ちていました。あまりにも視力が下がってしまい、レンズを着けても光が走るような状態になってきました。

その頃、ソ連(今のロシア)で開発されたと言う、視力回復の手術をしようと思い、取扱病院に検査に行きました。その時、初めて「あなたは円錐角膜です、角膜が薄いのでこの手術をしても今より悪くなるでしょう」と宣告されました。家に帰り、父にその事を話すと「自分もそうだ、おじいさんもそうだった」と言われました。

その後、通常のレンズでは視力が出ないし、クシャミするだけでも外れる事が多くなって、円錐角膜用のレンズにしました。でもこれは眼科ではなく、レンズを扱っている普通の眼鏡屋さんで買いました。(視力は0.8くらい出ます)ただここ1年くらい前から、急に目が痛みだし、翌日には白濁してほとんど何も見えない状態になりました。(最悪の時には両目です)

病院に行って点眼液をもらい、1週間くらいすれば見えるようにはなりますが、仕事が休めないと困ります。そして今年の1月に、この状態が回復しなかったら、「角膜移植をするしかないでしょうと」言われました。今は目が白っぽくなったり、レンズを外す時に痛かったりすると、点眼液でこれ以上酷くならない事を祈る日々を送っています。

【送信日時 2004年03月17日】




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