病気の症例
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☆円錐角膜の体験談をこちらで募集しています。

  20:ハンドルネーム:まことさん

【年齢 :18歳、職業:学生、性別:女性、住所:広島県】

私は小学生の頃から視力が悪く、アレルギーもあったので、病院へ通っていました。中学生になって部活に入ったのでSCLをつけ始めました。その後も定期的に通っていたのですが、高校一年の時に円錐角膜だと診断されました。その時は親と一緒ではなく、また原因不明の病気だという事でかなり不安になったのを覚えています。

それからHCLを着け始めましたが、酷い不快感を感じ、1日に20回くらいは目薬をさしていました。また目のカーブにCLを合わせるまでに5、6回着けて、1週間したら先生に見てもらうということを繰り返しました。その頃は何で私がこんな病気に…といった気持ちが強くありました。今はそういう気持ちも、諦め変わりました。

相変わらず不快感には悩まされていますが、発見時はまだ初期段階だったし、また幸いにも症状は進行していないようです。矯正前の視力は0.1以下で、矯正後は1.0〜1.2です。私には姉と兄がいますが、1年位前に姉も円錐角膜だと診断され、かなり驚きました。

【送信日時 2002年01月13日】


  19:ハンドルネーム:うめぼさん

【年齢 :36歳、職業:中学校教員、性別:男性、住所:新潟県】

私は1995年に左眼が円錐角膜と診断されました。それまで物が2重に見えたりしていたので、大学病院まで行きましたが、結局偏頭痛と診断されたりしました。今はCLでとりあえず見えていますが、ピントが合わず不快な思いをしています。これからどんどん進行していくのかなあと思うと不安です。妻も弱視で網膜変性症と診断されています。

【送信日時 2001年12月07日】


  18:ハンドルネーム:ばっちゃんさん

【年齢 :28歳、職業:会社員、性別:男性、住所:埼玉県】

私が円錐角膜と診断されたのは、つい最近1〜2週間前です。高校3年ぐらいからしていたソフトコンタクトがぼやけるようになって、いきつけのコンタクト専門店とは違うお店に行って測ってもらいました。目の形がでこぼこで、一度眼科医に見てもらった方がいいといわれ、近所で比較的有名な病院で見てもらったら、円錐角膜と診断されました。

中段階ぐらいまで進んでいて、HCLで矯正できなかったら移植しかないと言われました。幸いにもHCLで両目1.0まで見えるようになったので、とりあえずほっとしている所です。今日CLをもらってきて、今2時間程はめています。痛みはないですが、やっぱりかなり違和感がありますねー。思えば塾をよくさぼってゲームセンターに行っていた、小学校5〜6年ぐらいから急に視力が低下しました。

その頃は暗い所でのゲームのやりすぎからだと思いました。それから中学1年ぐらいで乱視が入り、眼鏡ではちょっと厚くて格好悪いと思い、SCLにしたのが高校2年ぐらいです。今回そのCLでも合わなくなり、円錐角膜の症状が徐々に進行していたのかなあと思います。今後、このHCLが合わなくなったりするのかと思うと、すごく心配です。

具体的な治療法がないのに進行をどうやってくい止めていけばいいのでしょうか?何か良い方法があれば教えて頂きたいと思います。

【送信日時 2001年10月20日】


  17:ハンドルネーム:ちびごんさん

【年齢 :28歳、職業:主婦、性別:女性、住所:宮崎県】

私は小・中・高の学生時代の視力は、両目ともに1.2くらいで、目が悪いってどうゆうことだろう?と思っていました。高校卒業後、事務系の会社に就職しました。事務といっても朝から夕方まで、ずっとパソコンの前で伝票とにらめっこ。この頃から少し視力が下がってるかなとは思っていましたが、仕事のせいだろうと気にもしませんでした。

仕事をはじめてから何度か目に物貰いができて眼科を受診しましたが、円錐角膜の事は何もおっしゃいませんでした。円錐角膜だとわかったのは、やっぱり物貰いができて、休日当番医に行った時でした。一般的な検査で、右目はものすごく乱視がきついと言われました。診察では円錐角膜の疑いがあるので、きちんと調べた方がいいですよと言われました。

でもその時は「怖い病気なのかな」とは思いましたが、子供が小さかったので子育て優先って感じで、その後は病院に行って検査をする事がありませんでした。今から丁度1年前に、新聞が読みづらい・肩がこる・頭痛などで困っていました。その時に視力も下がっているような気がするなあ。もしかして目の病気からきてるのかな?と久しぶりに以前言われた病気の事を思い出しました。

その後に受診した眼科で、角膜専門の先生の病院を紹介してもらいました。あなたの症状は、まだ軽いですよ。ハードコンタクトで矯正しましょう。心配する事はありませんよ」とおっしゃって、病気の症状の事を説明して頂きました。通院はとりあえず3ヶ月おきです。いろいろ考え込んでしまいますが、明るく・楽しくこの病気とつき合っていこうと思います。

私の通院している病院は、宮崎県都城市の宮田眼科といいます。通院には車で一時間ほどかかります。とても信頼できる先生で、出逢えてよかった!!と本当に感謝しています。

【送信日時 2001年09月16日】


  16:ハンドルネーム:ぺこちゃんさん

【年齢 :43歳、職業:主婦、性別:女性、住所:神奈川県】

20歳の時にソフトコンタクトを落として、新設の眼科に行きました。そこで円錐角膜の診断を受けました。正直、落ち込みました。とりあえず円錐角膜用のコンタクトを処方され、毎月1度は眼科に通いました。27歳の時、うっかりコンタクトをしたまま、うたた寝をして傷を作ってしまいました。その後すぐに手術の為に登録をしました。1年後に電話があり右目を移植を受けました。

幸い拒絶反応も出ることなく、今はコンタクトで1.0の視力が出ています。ただ左眼も円錐角膜になり、何度かコンタクトを作り直し、少しでも目に異常を感じたらすぐに眼科に行っています。現在の所コンタクトをして1.2です。私の場合は何度か引越しもしましたが、最初に病気を発見してくれた眼科にずっと通っています。他の眼科の先生の処方する目薬は合わない事もあるからです。

体に爆弾を抱えているのは本当に嫌なものです。私の場合角膜移植を受けたのが結婚して間もない頃だったので、散々姑から嫌な事を言われました。今も主人に左目の事を話していません。このまま移植せずに、自分の目で一生を終えたいと思っています。

【送信日時 2001年08月28日】


  15:ハンドルネーム:キョウさん

【年齢 :28歳、職業:事務職、性別:女性、住所:神奈川県】

私が初めて「円錐角膜」という言葉を聞いたのは、1997年5月の事でした。カラーコンタクトレンズが欲しくて、大手デパートの中のクリニックで診察を受けた時の事です。先生は円錐角膜の可能性があるから、早く眼科で診察を受けた方がいいと言い、どういう病気なのかを大まかに説明してくれました。私はあまり深刻に考えずに病院も行かずじまいでした。

そして2度目。今年に入り視力の低下(右0.6、左0.1でした)と疲れ目に悩んでいた私は、楽な使い捨てコンタクトを購入しようと、厚木にある眼鏡屋付属の眼科で診察を受けました。そこで円錐角膜の疑いがあるので、ハードレンズでの矯正をお奨めしますと言われました。視力測定後、30分程お試しのハードを入れてみたのですが…もう痛くて痛くて、しかも殆ど視力も変わらないような感じ。

結局ハードは諦め、旭化成の「トーリック」という、乱視矯正用ソフトレンズを使う事になったのですが、それでも裸眼に0.1ずつ上乗せした位の視力しか出ませんでした。3度目はそれから2ヶ月後の事。またも疲れ目と充血で、勤務先近くの眼科で診察を受けました。そこで左眼はかなり進行している事、右眼もおそらく円錐角膜だろうと言われ、その時になってようやく事の重大さに気付きました。

先生は熱心に、1万数千人に1人の割合で発病する事、原因などはまだ良く分からない事、千葉県市川市の病院に、角膜専門の先生がいらっしゃる事などを説明してくれました。その後インターネットで情報収集。同じ病気と闘っている仲間の存在を知り、専門の先生のホームページも拝見させて頂いたりして、心強い気持ちになりました。今の状況を報告します。

今月の初め職場の健康診断を受け、右眼の視力がさらに下がり0.2に…。景色の素晴らしい場所に行っても、まるで写真を見ているような平面的な風景しか見えないので寂しいです。夜間オートバイで高速道路等を走行すると、対向車のライトはもちろん、同じ車線の乗用車のテールランプでも目が眩み、どこを走っていいのか分からなくなります。

なんせ視力が低いので、いつもしかめっ面になっているようで…会社の社長に、お前は何でいつもブスッとしとるのかね?と言われてしまいました。何度も円錐角膜だと言われても深刻に考えていなかった私ですが、今度専門の先生に診察して頂こうと考えています。多段階カーブの円錐角膜用レンズ、「ローズK」の資料請求もしました。長く辛い道のりになりそうですが、頑張って病気と付き合って行くつもりです。

最後に同じ円錐角膜の皆さん、前向きに一緒に頑張って行きましょうね!

【送信日時 2001年08月23日】


  14:ハンドルネーム:ちかこさん

【年齢 :38歳、職業:会社員、性別:女性、住所:兵庫県】

私は多分軽症の方だと思います。小学校低学年の頃は、両目とも1.2くらいの視力がありましたが、6年生の頃には、右目の視力ががた落ちし、左だけがよく見える状態でした。そのころから眼鏡を作っていましたが、度がうまく合わず、眼鏡をかけるとかえって疲れるという状態だったので、かけたりかけなかったり。それでも左目はよく見えていたので大して生活には困りませんでした。

そのまま高校まで過ごし、高校3年の時にはよく見えていた左も、結構不自由(0.2以下)になっていました。自分では、受験勉強のせいだろうとあまり気にもとめず、相変わらず眼鏡はあまりかけませんでした。小学生から高校卒業まで、ほぼ1〜2年に1回の割合で、眼鏡を作り替えていましたが、いつも度は合わず、眼科医にも眼鏡の処方や検診の為に通っていました。この頃は眼鏡は合わない体質なのかと思っていました。

大学に入って、たまたま眼鏡屋さんを変えたところ、一度ちゃんと眼科専門医で見てもらった方が良いですよと言われました。今でもこの眼鏡屋さんには深く感謝しています。それで神戸大学病院の眼科に行って診察を受けたところ、あなたは円錐角膜で、眼鏡では視力は改善しない。病気の進行を予防するためにもハードコンタクトを装着しなさいと言われました。

これが19歳の時です。初めてハードコンタクトを着けた時、大げさでなく世界が変わりました。月が1つに見えました。その時まで7〜8年に渡って、私が眼鏡に費やしてきた費用はなんだったんだい?と思いました。その後はコンタクトを使い続けて20年。私がその後受診した眼科(大阪の岩崎眼科)では、円錐角膜の進行は30歳位で止まりますからと言われ、実際にそれからはあまり進行したような感じはしません。

裸眼の視力はもちろん向上はしませんが、悪くもなっていません。それと最近、久しぶりに眼鏡を作りました。現在は神戸海星病院に行っていますが、生まれて初めて眼鏡で視力が上がりました。勿論コンタクトに比較するとぼやけて見えますが、裸眼では0.1/0.5程度の視力が、眼鏡で0.5/0.7くらいに上がるので、随分生活は助かっています。私の経験から言うと

1:信頼できる眼科医を選択すること
2:上等のコンタクトを作ること

が一番です。30歳過ぎれば、私の場合これ以上悪くならなかったので、気持ちを楽に持って、病気と折り合っていけば良いのではないかなと思います。

【送信日時 2001年08月17日】


  13:ハンドルネーム:さくやさん

【年齢 :28歳、職業:派遣社員(事務)、性別:女性、住所:東京都】

中学生までは両目とも1.2でした。ファミコンは持っていなかったのですが、強いて言えば本が好きで、寝そべって読んだりしていたのが良くなかったのか、高校入学前後から視力が急に落ちてきました。それでも高校時代は、右目0.4、左1.0くらいがしばらく続きました。それまで「目が悪い」という事を他人事に思っていたのですが、細かい文字が読めなくなるという状態になり、「ああ、目が悪いってこういう事なんだ」とのんきに感心していました。

日常生活にはそれほど支障がなかったのですが、後ろの席になると黒板の文字がよく見えない為、眼鏡を作りました。この時、病院では特に円錐角膜とは診断されませんでした。大学4年の時に教職課程をとっていたので、中学校に教育実習に行く事になり、その際に視力を矯正してから実習に臨むように、学校側から指導されました。眼鏡屋さんへ行くと眼鏡は作れないと言われ、病院へ行くように指示されました。

高校の時と同じ個人病院でしたが、今度は乱視と言われ、視力も右0.3、左0.7に落ちていました。新しい眼鏡を作りましたが、これもあまり使いませんでした。この頃に自動車の免許も取得しましたが、やはり裸眼で大丈夫でした。会社に入社後、パソコンを多く使うようになり、肩こりや首筋の痛み、頭痛に悩まされるようになりました。眼鏡も少しずつ使うようになりましたが、眼精疲労は激しく、結局この会社は2年半くらいで退社しました。

退社時にはパソコンの画面を見て仕事をするのが辛く、もう事務職では働けないかもしれないと思うくらいになっていました。好きな本も疲れるので読む気がせず、映画も字幕がしんどいので行かなくなりました。退社後、また病院へ行くと、初めて「円錐角膜」と診断されました。HCLを作ったのですが、装着しているとすぐに充血してしまうし、花粉症のシーズンは痒くて3ヶ月くらい装着できないので眼鏡と半々くらいに使用しています。

仕事を辞めてのんびりしているうちに肩こりも少し良くなってきたので、半年後に派遣社員としてまた働き始めました。現在その職場で3年になります。パソコンも普通に使っていますが、やはり肩こり、腰痛などに悩まされています。左目の視力が良いせいか、左肩、左背中、左腰が常に痛く、はり・灸にでも行こうかと思っています。今の所なんとか仕事も続けていられてますが、少しずつ酷くなってきているのでどうにかしたいです。

視力の低下は右0.2、左0.5あたりで止まっているようですし、病院でも円錐角膜としては比較的軽い症状と言われました。ただ角膜移植ができるのなら、将来的にはしたいと思っています。移植をした方は詳しい情報を教えていただけたらと思います。皆さん色々な症状に悩まされている事でしょう。あきらめないで一緒に頑張りましょうね。

【送信日時 2001年08月16日】


  12:ハンドルネーム:ふじゃさん

【年齢 :22歳、職業:フリーター、性別:女性、住所:兵庫県】

目の激痛。小学校6年の12月24日でした。その時は何を思ったのか、寝てれば治るだろうと思って、コタツで丸まっていました。しかし時間が経つ度に涙と激痛は増え続け、私は母に痛みを訴えました。私の目を見た母が息を飲んだのが聞こえ、私は、ああ何か目に出来てるんだな…と思いました。眼球は晴れあがり、白く濁った角膜がとがった状態になっているのが分かったと後で教えてくれました。

すぐに病院に行く事になったのですが、あいにくその日は休日だったようで、救急指定病院へ隣町まで行きました。内科の先生しかその日はおらず、痛み止めの薬を目に塗りたくられ、気持ち悪かったのを覚えています。その日は痛くて眠る事が出来ませんでした。次の日に市民病院へ行き、診察を受けたのですが、当時の私が理解できたのは、「手術が必要である」事と、「この病院では診察できない」の事でした。

会計を待つ間、隣でただ涙を堪えていた母が忘れられません。それから週に1度、車で1時間かけて大学病院へ通院をはじめました。当時の私は何度か入退院を繰り返す、ぜんそく・心臓病持ちだったので、年齢が部分麻酔できるようになるまで待つ事になりました。その後は何度も再発を繰り返しましたが、当時のような酷い物は無く、3ヶ月に1度の診察…という風になりました。

しかし、最近になって、左目の角膜がまた進行し、コンタクトがギリギリになってしまいました。それ以前からも少し悪化はあり、何度か手術を勧められていたのですが、先日「本当に考えましょう」と言われました。恐らく手術をする事になると思います。私は幸運だと思います。手術に対する恐怖はありますが、手術を受ける事が出来るのですから。

私は小学生という幼い頃に円錐角膜にかかり、何度も再発し、色んな人に「可哀想」だと言われました。だけど、私は一度も辛いとは思わなかったです。小学校の頃、市民病院で見た母の涙。私より母の方が辛かった。手術を終えたら、母にまずお礼を言いたい。

【送信日時 2001年07月15日】


  11:ハンドルネーム:アイッコさん

【年齢 :32歳、職業:会社員、性別:男性、住所:神奈川県】

円錐角膜になって、早くも十数年の月日が経ちました。私が円錐角膜と診断されたのは忘れもしません、19才の時でした。その頃すでに眼が悪くなってきており、恐らく0.4位に視力が低下していました。しかしメガネをかけるのが嫌で、裸眼で生活をしていました。ある時、友人がコンタクトレンズを購入し、良く見えるし顔にメガネのような違和感がなくて最高だと言われ、私もコンタクトを購入する事を決めました。

しかし裸眼で本を読むくらい位なら、当時は特に不自由をしなかった事から、購入するまで時間があいてしまいました。そんな時期です。本を読んでいると、どうも右の眼が見づらいと思い、左眼を手でかくし読もうとした所、本当にビックリしました。何故なら活字が全然見えず(ピントが合っていないような感じ)その本の字を読む為には、眼と本の間隔を5〜6センチ位の所まで近づけないといけなかったからです。

そして私は慌ててコンタクトレンズを購入しに行き、診察を受けると、「あなたの右目は円錐角膜です。ソフトレンズでは視力を上げる事は無理です」と言われ、さらに「円錐角膜は治りません」との診断結果を言われました。その時、なんで俺がそんな訳の分からない病気になっちまうんだと正直思った事を今でも忘れません。

そして私は医師の進めるハードコンタクトを眼に入れてみましたが、あのゴロゴロ感がたまらずソフトレンズを購入しました。現在もソフトレンズを着け日常生活を送っていますが、右目はほとんど見えない為、左目だけで生活を送っているようなものです(本当に悲しい)。十数年経った現在、車を運転中などに左目が見えなくなったらやばいな、帰れないななど、真剣に考えるようになってきました。

また最近ではコンタクトを装着していると、右目の違和感がどうも強く、また浮いた感じがするようになってきました。そこで来月あたり、会社を休み1日かけて大学病院にでも行き、今後の対策などについて相談したいと思っています。

【送信日時 2001年06月28日】




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